やさしい日本語

 阪神淡路大震災から、大災害が起きるたびに注目されているのが「やさしい日本語」というものです。
 日本にはさまざまな国のさまざまな言語を使う人たちが来ているため、必ずしも英語が通じるというわけではありません。
 地域によっては、同じ国同士の人でさえ言葉が通じないことがあるので、伝える外国語はいくつあっても完ぺきにはならないのです。
 ただ、彼らに共通しているのが、コミュニティーの中には「日本語がなんとか理解できる人がいる」ということです。
 つまり、伝える言語を多国籍化するよりも、わかりやすい日本語を使うことで全ての人に情報を伝えられないかというのが、このやさしい日本語ができた経緯なのです。
 このやさしい日本語、実際に普段使っている日本語をより簡単な日本語に置き換え、状況や内容を理解してもらうことが目的で、やってみるとかなり難しいものです。
 特に災害時や災害後に出される行政からの文章は、より正確性を求められるためにかなり難しい言い回しをしています。
 そこから必要な情報を取り出し、言い換えを行って相手に伝わるようにしなければなりません。
 また、一つの用紙には一つの情報を書くようにした方がわかりやすいのですが、往々にして複数の情報が一文の中に収められたりしているので、これを分ける作業が大変だったりします。
 さらにややこしいことに、それにプラスして日本の習慣も伝えておかないとトラブルのもとになりますから、100%の正確な遅い情報よりも60%の正確性でいいので早く表示できるようにしておかないとまずいことが起こります。
 情報は生き物ですので、可能な限り短時間でタイムラグなく状況を伝えることが重要です。
 できれば情報の発信時にそれが作れることが理想ですが、現時点ではそこまで考えている行政はないと思いますので、なるべく被災者の近くでやさしい日本語に翻訳できるようにできることが求められると思います。そのためには、より多くの人がやさしい日本語に言葉を変えられるように語彙を増やすことと、言い換え言葉を普段から意識することが大切になります。
 また、やさしい日本語は伝えなければならない必要最低限の情報をできるだけシンプルにして作られるため、長文や小さな文字を読むのが難しい高齢者や小さな子供でも内容がわかりやすいというメリットもあります。
 普段から言い換えの訓練をしておくことで、いざというときにすぐ作業ができると思いますので、興味のある方は時間を作って、例えば新聞記事や行政の広報誌などをやさしい日本語に組み替える練習をしてみると面白いと思います。

わかっていることとわかったつもりでいること

 コロナ禍が明けつつあり、あちらこちらで防災イベントも再開されてきています。
 こういった防災イベントでは、体験型の訓練も結構な確率で登場しているので、お出かけした際にはぜひ体験してみることをお勧めします。
 訓練でも、実際に体験してみると案外と本番でもどのような行動をとったほうが安全なのかがわかったりします。座学ではあくまでも講義や映像による頭の体験なので、わかったつもりになっていることも多いような気がします。
 体験だけではダメだし、座学だけでもうまくいきません。
 座学と訓練という体験をとおして、初めてわかるのではないかと思います。
 もちろん訓練と本番の状況は違いますが、訓練をしているのとしていないのでは、判断や行動にかなりの差が出ることは間違いありません。
 いろいろと知識を持っているのであれば、訓練や体験もどんどん参加して、いざというときに生き残る判断や行動の選択肢を増やしておくようにしたいですね。

まずは命を守ること

 日本は災害大国だということは、大きな災害が起きるたびに言われていることですが、災害が起きるたびに犠牲者が出るのはどうしてなのでしょう。
 災害大国というからには、日本のどこに住んでいても災害が起こる可能性はあるわけで、そうするとそれに対する備えをきちんとしておくことは常識なのではないかと思うのですが、実際のところはそうでもないようです。
 災害が起きないようにさまざまな物理的対策をとるのは行政が頑張っていますが、だからといってそれで100%の安全が確保されるわけではありません。
 物理的な対策は、あくまでも安全な場所へ避難するための時間を稼ぐために行われているものだと考えると、自分自身は何もしなくてもいいということにはならないということがわかると思います。
 では、自分自身は何をしたらいいのかというと、まずは自分の命を守るためにどのような行動をとったらいいのかをしっかり考えて備えておくことです。
 災害時に生き残るのは自分自身の判断がかなりのウエイトを占めることになります。災害が起きそうなときには早めに安全なところへ移動したり、災害が起きたら速やかに自分の安全を確保するための行動は、普段から意識していないと本番でも当然できません。
 そのために必要なのが訓練であり、備蓄であり、マイタイムラインと呼ばれる災害時行動計画なのです。
 「起きたらその時」とか「やる意味がない」といったことを考えている人は多いのですが、そういう人に限って、実際に災害が起きると「こんなはずではなかった」というセリフを言います。「こんなはずではなかった」と言えるならまだマシで、災害で命を落とすのは圧倒的にこういった人が多いのです。
 災害発生時に自分の命を守るのは、自分自身しかできません。警察も消防も自衛隊も行政も、災害が発生するその時にあなたを助けてくれるわけではないのです。
 自分の命を守るのは自分自身。そのことを忘れずにしっかりとした準備をしておきたいですね。

周囲の間違い探し

 土砂崩れ、土石流、地すべりといった土砂災害は、多くの場合事前になんらかの予兆が起こりますが、それに気づかずに災害に巻き込まれるというケースが多いようです。
 注意してみていると、焦げ臭いにおいや斜面のふくらみや斜面からの小石の崩落など、さまざまな小さな変化が起こっています。
 先日、この話を子供向けの防災教室でしたところ、ある子が「それって間違い探しだね」と言ってくれて、なるほどなと思ってしまいました。
 小さな変化に気をつけようといっても、なかなか難しいかもしれませんが、例えば子供たちに「毎日観察して間違ったところ(普段と違った変化のある場所のこと)があったら大人に教えてね」と言っておくと、彼らは楽しみながら観察をしてくれるのではないかなと思います。
 小さな変化は間違い探し。
 これを意識して小さな変化に気づきたいですね。

いかに自己完結できるか

 大規模災害時における被災地支援では、支援者がどれだけ自己完結できる装備を持っているのかがカギとなります。
 衣食住については、被災地では当然不足している状態ですので、被災地に負荷をかけないようにすべて持ち込むことが推奨されます。
 水害のように地域がある程度限定されている状態であれば、被災地域外から通えばすむのでそこまでの負担にはなりませんが、大きな地震だと被災地のエリアが非常に大きくなるため、被災地外から通うというのはかなり難しくなります。また、宿泊用のテントや車を持参していても、それらを展開する場所が確保できない場合も想定されます。
 大規模災害で被災地支援に入る組織は全て似たような悩みを抱えていて、例えば消防や警察はそれぞれの敷地内に輸送用バスや支援車両を置き、そこで寝泊まりしていますし、自衛隊は事前に行政側が幕営地を確保したうえで派遣を受けています。
 一般の被災地支援者は行政側に頼るわけにはいきませんので、早い段階で被災地支援に入るのならば、それなりの覚悟をしていかなければなりません。
 保温、食事、給水、排せつ、睡眠。
 自前でこれを確保できない場合には、被災地がある程度落ち着くまでは立ち入ってはいけません。
 被災地支援するための前提は、どこまで自己完結できているかです。
 被災地や周囲の状況を確認しながら、被災地支援に入るようにしてください。

目的と手段

 どんなことであれ、「目的」を達成する、そのための方法として「手段」が存在しています。
 ただ、どうしたものか、よくこの目的と手段がひっくり返ってしまうことがあるので注意が必要です。
 防災関係でいえば、最終的な目的は「自分の命が安全に確保できること」で、そのために自主防災組織やその他のさまざまな支援の形が存在しています。
 ところが、例えば自主防災組織を作ることが「目的」になってしまって、組織を作るための手段が模索されているという不思議な事態が日本のあちこちで起きています。
 自分の命が安全に確保されるのであれば、自主防災組織がなくても問題はないはずなのですが、なぜか「自主防災組織がなければ自分の命が守れない」として、無理やりに組織化しようとしているケースをあちこちで見ることができます。
 こうなってしまうと、組織化が目的なので、組織ができると目的達成となり、その後放置になってしまっているのものも、筆者の知る範囲では非常に多くみられます。
 防災に関して言えば、「自分の命を安全に確保すること」が目的で、その手段として、例えば自主防災組織があったり、地区防災計画があったり、マイタイムラインを作ったりするのです。
 そこをしっかりと理解したうえで、目的と手段を間違えないように対策を考えていきたいものです。

安心の心理

 2023年3月13日をもって、新型コロナウイルス感染症対策としてのマスク着用は個人の考え方に委ねられることになりました
 一応、これで国を挙げての新型コロナウイルス感染症対策は終了に向かうと考えていいのでしょうが、それにしてもさまざまな情報や流通の混乱に振り回された方も多かったと思います。
 今回は使い捨てマスクや消毒用アルコールが店頭から無くなって、売っているのは馬鹿高い出所の怪しい商品だけという状態が続いたわけですが、供給がされてもマスクが足りなくなることを恐れて買い占めに走った方も多かったようで、生産はしているのにマスクやアルコールが店頭にないという不思議な状態が結構長く続きました。
 買い占めする必要はないと政府や行政が言ったところで、買い占めの心理は手に入らないかもしれない不安から発生しているのですから理屈ではありません。
 不安が解消されない限りは買い占めは続いてしまうのです。
 今回はコロナ禍でしたが、これに限らず大きな災害が起きると被災地ではさまざまな商品が欠乏します。
 不思議なもので、そのうちに手に入ることは頭では理解できているのですが、それでもあるものを買い占めてしまうという心理が起こります。
 それは「いつ」「どれくらい」という情報が欠けているために起こることなのですが、海外で生産しているのでいつどれくらい入荷できるのかがまったくわからない状況が続いてしまいました。国内生産ならある程度の予測ができたのでしょうが、安さを求めて海外に進出してしまった結果、作ってもいつ届くのかが予測できなくなって今回のような騒動が起こってしまいました。
 いつ、どれくらい、どのように入手できるのかがわかれば、予測ができます。予測ができれば、善かれ悪しかれ心理的には安心するのです。
 安全は物理的にわかる世界ですが、安心は心の中の問題なのでそう思えるかどうかは個々人の考え方でしかありません。安心を担保したいなら、状況や解決する時期をしっかりとわかるように被災地の人に知らせること。
 それが大切なのではないかと思っています。
 ちなみに、マスク着用が個人の考え方に委ねられるといっても、無制限にマスクをつけなくていいという話ではありません。少なくとも、咳が出るようなときには、マナーとしてマスクをつけるようにしてほしいなと思っています。

伝承を伝える

 本日3月11日は今から12年前に東日本大震災が起きた日です。
 地震とそれに伴う津波によって多くの方の生活が一変しましたが、10年も経過すると、当事者の方以外には過去のことになってしまい、災害の起きたこの時期だけさまざまな形で特集が組まれ、報道がされています。
 年に一度でも思い出せるような形が続けられるのであればいいのですが、少なくとも、そこで何が起きたのか、そしてどうなったのかについてはしっかりと伝承をしておく必要があります。
 過去、何度にも渡って地震と津波を繰り返している地域ですが、時間がたつと過去の災害のことは忘れられていました。
 今回大きな災害が起きて、初めて過去に何が起きていたのかを見直すことができたわけですが、このままいくと次回起こる時にはまた同じことが繰り返されるのかなと考えてしまいます。
 伝承は非常に難しいものです。
 実際に体験した人も、時間の経過とともに記憶がだんだんと薄れていきます。これは人間の記憶の中に「忘却」という能力がある以上、どうにもなりません。
 そして、時間が過ぎれば実際に体験した人はいなくなります。そして、伝承を形に残そうとしても形あるものは風化していきますし、維持するのに必要な予算が確保されないということも、恐らく出てきます。
 そしてそうなった後に、大概の場合また同じ災害が起きてという繰り返しが起きる。少なくとも今まではそうでした。
 近年起きたさまざまな災害の記録や記憶をどう伝承していくのか。
 人間の「忘れる」という能力への挑戦になるわけですが、しっかりと伝承できるような仕組みを作っていくにはどうしたらいいのか。
 恐らく正解はないと思いますが、試行錯誤しながら思いを伝えていければいいなと思っています。

カサカサとボソボソ

体育館などでは思った以上に生活音がよく響く。

 避難所など人が集まっているところの夜に起きるトラブルが「音」です。
 その中でもポリ袋の「カサカサ」という音は非常に不快感を与えてしまうようで、避難所以外、例えば山小屋など多くの人が就寝している場所でトラブルになることがあります。
 非常用持ち出し袋などの防水対策としてポリ袋を使う人も多いと思いますが、できればかさかさしないタイプのポリ袋を使うことをお勧めします。
 また、たくさんの人が集まって就寝している場所では、緊張しているせいか寝ていない人のぼそぼそとした小さな話し声も気になるものです。
 アイマスクや耳栓など、周囲の光や音を押さえる道具もあるのですが、善意の人ばかりではありませんので、確実に安全が確認されていない場合には、そういったものを使うのもどうかと思います。
 対策としては、音が出ないようにすることと、人の声を気にしなくても済むような小型の自立型テントを持ち込むくらいでしょうか。
 しっかりと眠れないと、気力はどんどん失われていきます。
 あなた自身が他の人に被害を与えないように、そして周りから被害を受けないためにも、避難が必要な人は事前準備をしっかりとしておきたいですね。

防災計画は現実的ですか

 東日本大震災における大川小学校の損害賠償請求事件では原告が全面勝訴しています。このことは割と有名な話なのですが、この中で裁判所が「事前防災の予見と不備」を大きな理由にしていることはご存じですか。
 人が集まっている学校などでは、想定されうる災害についてきちんと精査し、条件変更のたびに防災計画をきちんと見直すことが必須とされています。
 詳細は裁判所の判例をご確認いただきたいのですが、筆者の解釈では、この判例の前提にあるものは、学校に限らず、人が集まる施設では起こりうる災害とその対策についてしっかりと精査したうえで可能な限り犠牲者を出さないための対策を行う必要があるということなのではないかと思っています。
 学校や病院、介護施設、保育所やこども園などでは、ほとんどの場合防災計画が作られていると思います。ただ、それはきちんとそれらがある場所の状況を反映し、的確に安全確保ができるものになっているでしょうか。
 特に介護施設などでは、筆者の知る限りでは防災計画のひな型を適当に手直ししたものが備え付けられていることが多いですし、見直しや改訂もまったくされていないものもよくあります。
 法律上は防災計画が立てられていて計画書が備え付けられているので問題がないと判断されるのですが、それで安全がきちんと確保されているでしょうか。
 防災計画を一から作れというのは結構ハードルが高いと思うのですが、これらの施設に義務付けられている避難訓練の状況や結果を防災計画書に反映させることはできると思います。
 もしあなたが防災担当をしているのであれば、今からでも遅くはありません。
 自分の担当している防災計画書を見直し、地域の災害リスクや要件をきちんと満たせているか、そして実際に安全確実にできるような計画になっているかを確認し、しっかりとした安全を確保してください。
 余談ですが、介護施設は特に地域の中では危険な場所に建てられていることが多いです。立地からすでにリスクがあるのですから、しっかりとした対策を作って実行できるかどうかを確認することをお勧めしておきます。

大川小学校津波訴訟判例文(裁判所のウェブサイトへ移動します)