被災者支援の「平等と公平」

 日本の被災者支援では「平等」が求められるようで、そのため、支援物資が入ってきても全員に配れないものは配布されなかったり、一部の人にしか必要とされないものはいらないと断られたりすることも、過去の災害では起きています。
 でも、「命を守る・命をつなぐ」という視点で見ると、平等は「不平等」だと感じます。
 例えば、健康な成人男性と3歳児が飲まず食わずでどれくらい持ちこたえられるかを想像してみてください。
 恐らく、成人男性の方が3歳児よりも長く生きることができるはずです。
 平等という考え方でいけば同じ量が同じ時期に支給されない限りは食事は配れないということになりますから、放っておくと3歳児は成人男性より先に死んでしまうことになります。
 また、生理用品については女性は必要としていても男性にとっては必要の無いものですので、人によっては「こんなものいらない」と運営者が返品してしまうことも起きえますし、実際に東日本大震災で起きたとも聞いています。
 「全ての人に全てのものを」という発想で行くと、必要の無い人にいらないものが届き、必要とする人には必要数に足りない量が配られるという悲しい事態になってしまいます。
 ところで、似たような条件の難民支援では「必要なものを必要な人に優先順位に従って届ける」ことがルール化されています。
 生命力の弱い人を始めとする支援の必要な人から優先して必要な物資を届けることで、無駄もなくなり、安心して命をつないでいくことができるからです。
 避難所運営においては、あちこちから届くさまざまな支援をどのように分配するのかが必ず問題となりますが、その際の視点は「平等」ではなく命をつなぐための「公平さ」が必要なのではないかと考えます。
 避難所を開設して運用をするとき、その避難所にどのような人が居るのかを把握し、届けられる物資をどのように配分すれば避難者全てが命をつなぐことができるのかに配慮した視点をもち、物資を配布する前に配布の仕方をルール化しておくことは絶対条件です。
 声の大きな人や気づいた人が優先的に物資や支援を受けるのではなく、必要な人に優先度に応じてきちんと物資や支援を届けることが、避難所の運営ではなによりも重要だと考えます。
 ただ、この公平さは行政機関では対応ができない部分です。日本の行政機関は「住民全てに平等に」という原則がありますので、できれば避難所の運営を行政職員以外の自治会や自主防災組織が行った方がトラブルが防げます。
 さまざまな支援に対して、自分に必要ないから拒否するのではなく、その支援が必要なのはどのような人なのだろうかという視点にたって使い道を考えていきたいものですね。

ボランティアと被災者の関係ってなんだろう?

 阪神淡路大震災が「ボランティア元年」と言われて久しいですが、災害が起きるたびにボランティアと被災者があちこちでトラブルを起こしているとも聞きます。
 本来、ボランティアは「困っている人の困っているところをお手伝いすること」だと思っているのですが、自分の思いだけで物事を進めようとしたり、「被災者=かわいそうな人」として、お手伝いのはずのボランティアがありとあらゆることを先回りしてやってしまっていたり、被災者も「被災者の言うことには全て従え」と言ってボランティアへのセクハラや性的被害が発生したり、その逆もあったり。
 人である以上たくさん集まればいろいろなトラブルが起きるのは当然なのですが、そうでなくても対応に追われている現場で起きなくてもよいトラブルが発生するのは勘弁してほしいものです。
 そのため、仕事のマッチングを行うボランティアセンターが立ち上げられたり、ボランティア団体同士で情報共有できる場を作ったり、直接支援はしないように働きかけたりといった、さまざまなトラブルを防ぐ努力はされています。
 ですが、これ幸いとボランティアの名の下に自分の善意を押しつけようとする人や、自分の抱えたやっかいごとをボランティアに押しつける人も一定数いるというのが現状だと思います。
 別に善意を押しつけるのが悪いとまではいいませんし、善意に甘え倒すのが悪いともいいません。でも、同じするのなら、関わる全ての人が喜べるように考えて調整していくのが必要なのではないでしょうか。
 「お互い様の精神」で被災者は自助努力をした上でボランティアに助けてもらい、ボランティアは被災者の手が回らないところをお手伝いする。
 そうすれば、被災者もボランティアももっともっと気持ちよく、楽しく活動ができるのではないかと思うのですが・・・。

サバイバルキットは非常用持ち出し袋に必要か?

 サバイバルキットは軍隊で非常事態になったときに自分の命を守り繋ぐための最低限の装備が入っているセットです。
 その軍隊の環境や装備、人件費の違いでサバイバルグッズの中身もかなり違うようですが、これを非常用持出袋に入れてある人というのが一定数いるそうです。
 「○○軍レンジャー部隊御用達」などと書いてあると、つい買ってしまい、それで安心する人もいます。筆者も実はそうです。
 でも、サバイバルキットは本当に使えるのでしょうか?
 筆者の結論から言うと、「相当使い込まないと使えない。また、サバイバルグッズよりも便利で使える道具が多い街中ではたいした出番はない」感じです。
 例えば「ワイヤーソー」。これは細いワイヤーの両端にリングをつけ、そのリングに指を入れてワイヤーで木を切ろうとする道具です。
 実際に使ってみましたが、くたびれるだけで思うようには切れませんでした。ワイヤーソーに頼るなら、そのへんでのこぎりを探して切る方が、のこぎり探す時間を入れて考えても早いと感じたくらい。
 次は多目的ツール。カード型でその中にレンチや栓抜き、缶切りやドライバーなどが入っています。ツールとしては便利なのですが、使うにしたらその形のせいでいるいろと使いにくいのが実際です。
 ファイヤースターター。普段から使い慣れていないと絶対に火はつきません。濡れても大丈夫というのが売りですが、これなら防水マッチやライターの方がよほど使えます。
 そんなこんなで、使えるものというとせいぜい鏡と笛くらいでした。
 考えてみれば、軍隊ではサバイバルキットの使い方をたたき込まれます。それは彼らがさまざまな作戦装備を持つため、自分の命を守るための装備を持てる重量に限りがあるためです。そのため、使い勝手は悪くてもさまざまな機能を併せ持った小型で軽量のサバイバルキットを作ったのではないでしょうか。
 そう考えると、私たちは自分の非常用持ち出し袋には自分の生命を守り維持する道具を満載できるわけですから、少々大きくても使い勝手のよい道具を準備した方がよさそうです。
 サバイバルキットを参考にして、自分には何が必要なのかを考え、準備するのがよさそうな気がします。

キャンプと避難生活の違いを考える

 あちこちで山開きがされ、キャンプ場なども本営業に入る季節となりました。
 よくキャンプ慣れしている人は災害時の避難生活にも強いと言われますが、実際のところはどうなのでしょうか?
 今回は、災害による避難生活とキャンプ生活との違いについて考えてみたいと思います。

1.キャンプ生活と避難生活の違い
 まずはなんと言っても自分が求めて出かけた環境か、それとも無理矢理放り込まれた環境なのかという違いがあります。
 キャンプであれば、事前に場所や道具、食事や生活全般に至るまで、全ての主導権はそれをする人にあります。
 でも、避難生活は場所や道具、食事や生活全般に至るまで、そのままだと主導権は自分以外のどこかにあり、これが一番の大きな違いなのでは無いかと思います。
 次に、キャンプはその気になればいつでもすぐ日常生活に戻れるので不便を楽しめますが、避難生活ではいつ日常生活に戻れるかわからないため、不安で消耗し、不便や不自由を楽しむという感情がなかなか出てこないと思います。
 そして、キャンプであれば周囲との関係は自分の思うままに調整することがある程度可能ですが、避難生活では否応なしに周囲の避難者との関係が出てきます。嫌だからと言って周りを拒絶すると、下手すると一切の救援を受けられなくなることもありますから、ある程度友好的な関係を維持し続ける必要もあると思います。

2.キャンプする人は本当に避難生活に強いのか?
 キャンプを楽しむ人にもいろいろなスタイルがあります。
 完璧に準備をし、事前に決めた計画に沿ってするようなキャンプをしている人だと、準備も無く条件も整っていない避難生活は苦手かもしれません。
 また、道具にこだわり頼りすぎるようなキャンプばかりしている人だと、あるものでなんとかしないといけない避難生活はキャンプをしない人以上にストレスが貯まってしまうかもしれません。
 ただ、キャンプに計画変更や忘れ物はつきものです。
 その変わってしまった状況や変化、忘れ物を楽しめるような人であれば、間違いなく避難生活には強いと言えるでしょう。
 場数を踏んでいれば、いやでもそういった経験をし、それでもキャンプを続けられているわけですから、必然的に避難生活には強い人たちが残っていることにはなりそうです。
 また、日常生活と避難生活があまり変わらなければ、やはり避難生活には耐えられると思います。

3.キーワードは「日常性と非日常性」
 災害による避難生活は、事前準備をすることによって実は限りなく日常生活に近づけることが可能です。
 例えば耐震補強を行って家をしっかりさせることや、水に浸からないまたは浸かっても大丈夫な構造にしておけば、わざわざ避難所に避難しなくても家で避難生活を送ることができます。
 それだけでも普段の生活の延長線上になるので、心身にかかるストレスはずいぶんと軽くなるはずです。
 食事でも、普段から家に備蓄品があってそれを使うようにしていれば、しばらくは食事もそれまでと変化無く食べられそうです。
 いつでも日常に戻れる準備さえしてあれば、災害という非日常を楽しめる精神的な余裕さえできるかもしれません。
 普段キャンプをしている人たちは日常と非日常を両方楽しめる性質を持っているような気がします。

 キャンプと同じような生活で自分自身がなんとかなるのであれば、あなたは人を助ける側に回ることができます。
 周りを助けられると言うことは、自分自身のことを決めるのに自分に主導権がある状態です。
自分に自分の主導権がある限りそんなに凹まなくても日常を取り替えることは容易になる。そのためのさまざまな準備の一つとして、キャンプを試してみるのもいいかもしれませんね。

家にある飲料水を探そう

 大規模災害が発生した後、まっさきに問題になるのはトイレです。そして、その次には飢えと渇き。
 これは地震でも水害でも台風でも同じことで、ライフラインが寸断されて発生する共通の問題となります。
 そのとき、飲み水の確保が一番の問題となったことをご存じでしょうか。
 今回は密かに家の中にある飲料水について考えてみたいと思います。
 飲料水というのは「飲んでも人体に影響のない水」で、災害に備えることを考えたときにはPETボトルで売られている保管可能な水や、光触媒を利用して水が腐らないようになっているポリタンクなどを備えることが一般的ですが、おうちによっては普通に飲むことの可能な水が隠れている場合があります。
 一カ所目はトイレの水洗タンク。水道管直結タイプでなくタンクに貯めるタイプで毎日利用されているのであれば、そのタンクの中に最低2~5リットルは必ず飲める水があります。
 気分的には乗り気がしないかもしれませんが、ここに保管されている水は大抵の場合は水道水。毎日何度も入れ替わっているので新鮮な水が入っている理屈になります。
 もっとも、この水を使うためにはこのタンクに注ぐ水では手を洗わないなど、水を汚さないようにする必要になります。ですが、災害が発生した後、トイレの水を流さなければ、簡単に手に入る水です。
 二カ所目は、電気温水器。これは給湯施設を電化している人に限られますが、このタンクの中には180リットル以上の水またはお湯が入っており、最近のものであれば、災害時に水が供給できるようなコックがついているものもあります。
 普段から使っているのであれば、これはかなりの量の水を確保していることになります。
 三カ所目は太陽光温水器。最近は太陽光発電施設の普及で見かけることも減りましたが、もしこの装置があるのなら、ここにも電気温水器と同様の水の量が確保されていることになります。
 もっとも、太陽光温水器で作ったお湯については「あくまでも生活用水」というメーカーの説明もありますので、飲食に使う場合には自己責任でお願いします。
 さて、ここまで読んでいただいて気づかれたと思いますが、電気温水器と太陽光温水器はどちらもお湯を作るための装置です。
 災害時でも、しばらくの間はそれなりのお湯を確保することも可能ですので、これらを利用して飲料水を上手に確保してください。

要支援者と域外避難

 災害が発生すると、国の計画では発生後3日以内に必要と思われる物資を被災地に送り込むことになっています。
 この物資は命をつなぐためのものが最優先であるため、主に食料と水が中心となります。
 それから日用品に移行していきますが、全ての人が必要としない物資についてはどうしても遅れてしまう、または届かないという特性があります。
 たとえば、大人用おむつや乳児用ミルク、生理用品、アレルギー対応食などがこれに該当し、必要とする人の数が少なければ少ないほど支援物資として届く優先順位は下がります。
 これは医療現場でも同じで一般的でない病気や資機材のいる病気などへの対応はやはり遅くなってしまいます。
 東日本大震災では酸素吸入や透析が必要な方への手配が問題となりました。
 さまざまな理由で特殊な資機材や物資の支援が必要な人、つまり要支援者が一定数存在することを考えると、災害時には被災地以外の場所へ一度待避してしまったほうが支援が受けやすいのではないかと思います。
 受け入れの問題もありますが、都道府県や市町村といった行政機関や病院でお互いに受け入れ体制を作り輸送手段の確保さえすれば、要支援者への対応を被災地で考える必要がなくなり安全性も増すのではないでしょうか。
 復旧や復興にどれくらいかかるのか、いつ地元へ戻れるのかがわからない不安はありますが、資機材不足、物資不足による命の危険と併せて考える必要があると思います。
 行政機関同士では対口支援(たいこうしえん)と呼ばれる行政職員の相互支援協定が作られて、平成30年の西日本豪雨でも活用されました。
 行政職員を被災地へ送り込む制度ができるのですから、要支援者を被災地外へ搬出する制度もできるのではないか。
 いろいろと問題はあると思いますが、検討しておく重要なことの一つではないかなと考えます。

災害遺構を訪ねて2・「松崎の碑」

 石見地方の災害史を紐解いていくと、沿岸部では結構な高確率で「万寿の大津波」というキーワードにぶつかります。
 西暦1026年の万寿3年に石見地方を襲ったとされる大津波で、各地にさまざまな伝承や逸話が残っています。今から千年近く前の大災害が未だに語り継がれているわけで、それだけ大被害を与えた津波だということなのですが、逆に言えば、それ以降大きな津波災害が起きていないとも言えます。
 さて、今回はそんな万寿の大津波で海に没した鴨島にあった神社からご神体が漂着した現場に建てられたという碑をご紹介します。
 とはいえ、この碑は災害直後に建てられたわけでは無く、ずっとずっと後になって「ここへご神体が漂着した」ということを記録に残したいという人によって建立されたものです。大津波の発生は万寿3年(西暦1026年)。碑の建立は文化8年(西暦1811年)ですから、およそ800年後に建立された碑というわけです。

益田側から来ると左手にこんな看板が見える。でも駐車場はこの看板の手前。
行き過ぎないように注意が必要。

  場所は、益田市高津町。平成15年に松枯れした「連理松」のあった場所です。現在は「金刀比羅神社+恵比寿神社」の社の横に、連理松の看板とともに「松崎の碑」として鎮座しています。

左が「金刀比羅神社+恵比寿神社」の拝殿。合祀されたものなのかどうかよくわからないが、手前にある鳥居の表示もこの2つが併記されている。ちょっと珍しい気がする。

  由来を簡単に書くと、「遙か昔、歌聖として知られる柿本人麻呂の終焉の地とされる益田沖にあった鴨島に、人麻呂自身が掘ったとされる像を安置した祠があった。
 万寿3年(西暦1026年)の大津波によって鴨島は一夜にして海中に没したが、像は二本の松に支えられて高津の吹上浜に漂着した。このことから、この地が松佐起、つまり松崎と呼ばれるようになった。地元の人がその場所に小さな祠を建ててお祭りしていたが、紆余曲折を経て、延宝9年(西暦1681年)に高津城二の丸跡である現在の場所へ移転改築された。その後、文化8年(西暦1811年)に藤原持豊卿によって上記の伝承を末永く伝えるため、由緒碑を建立した」そうです。

由緒碑はわりと大きなもので、表面には文字がびっしりと書かれています。

碑の手前、入り口のところにある看板の拡大図。この碑の由来が丁寧に書かれているので、一読するとよく分かる。碑に刻まれている文字も全文が書かれているので、こちらを参考にする方が読みやすい。

 碑の手前に由来や書かれている文字についての説明書きがありますから、そちらを読めば大丈夫です。
 また、在りし日の連理松についても碑の横にある「高津連理の松」の案内文で偲ぶことが可能です。
 海からは割と近く、海抜11m程度なので、話としてはそれなりに信憑性はあるのかなと思いますが、実態については正直なところよくわかりません。
 この碑を建立した理由が「伝承を忘れないため」ということなのですが、確かにこの碑が無ければ誰も知らない話になっていたかもしれないので、建立した人は「人は忘れるものだ」ということをよく知っていた方なのでしょう。
 ちなみに、神社の横はちょっとした駐車場になっていて、「松崎の碑」の見学で利用することができます。
 この駐車場のさらに横は児童館になっていて、平日の夕方は学童保育で賑やかですので、行かれる方はご注意くださいね。

20190929追記 他の災害遺構の見出しが「災害遺構を訪ねて」になっていたため、タイトルを「災害遺構を探して」から変更しました。

災害時にこれでは困る

 緊急時に避難をするにあたっては、避難先がきちんと決められていて使えるようになっていることが大切です。
 でも、出されている情報が矛盾している場合にはどうすればいいのでしょう?
 今回はそんな困った状態を一つ指摘してみたいと思います。

 しっかりした画像データを出したかったので、今回はかなり重めです。申し訳ありませんが根拠をはっきりさせたかったので、こんなことになりました。

 この写真は益田地区振興センターの前に掲示されている避難所の位置図です。
 気づかれた方がいらっしゃるかもしれませんが、赤線で強調している避難場所はすでに存在しないところです。

 ここに記載されている益田高等技術校も泉光寺も別な場所に移転していて、この地図どおりには避難できない状態です。

平成30年度益田市防災計画の中に避難所一覧から該当部分抜粋。

上記は平成30年度益田市防災計画の中の「避難所」の一覧です。
ここには益田小学校が「避難所」として書かれています。赤線部を見て欲しいのですが、片方では水害でも避難可、もう片方は避難不可となっています。

 益田小学校の前には「災害避難場所」の表示がされています。看板奥左手の建物が、恐らく避難所として使われることになる体育館です。

 しかしその体育館入り口には「避難先は益田地区振興センター」と記載された貼り紙が貼ってあります。
 そして、問い合わせ先として益田市役所の危機管理課の電話番号が書かれています。
 ちなみに、益田市防災計画の中の避難所の収容人員は益田小学校400人、益田地区振興センターは50人です。収容予定50人の施設にどうやってあと400人も入れるのかは正直「謎」です。

益田市役所が作成したハザードマップから該当部分を抜粋。

 でもって、益田市が提供しているハザードマップでは避難所として「益田小学校」も「益田地区振興センター」も表示されています。

 いったい何を信じたらいいのやら。
 地元の人さえ分かっていればいいということなのかもしれませんが、避難してくる人は地元の人ばかりとは限りません。
 何らかの問題が起こったのだろうと推測はしますが、平成30年度益田市防災計画は平成31年3月25日付けで公開されているので、それ以前から益田小学校に貼られている張り紙(少なくとも10月には貼ってあったのを確認しています)と矛盾する内容になっています。提供する情報はきちんと最新のものにし、矛盾が無い状態にしておかなければいけないと考えます。
 もっとも、あまり災害は起きないということで、ひょっとしたら益田市は本気度が低いのかもしれませんが・・・。

2019.11.07追記 少し前に益田市役所の方に確認したところ、防災計画は年度末にその年度の防災計画として作成しているそうで、おかしな点は気がついた年度末の益田市防災計画で修正するそうです。その都度直す方がいいのではないかと思うのですが年度中途での修正はされないそうなので、これらの資料を参考にされる方は充分に気をつけてください。

古の災害を知る研究

 日本では昔からさまざまなものが記録として残されていますが、自然災害についても直接被災した人や話を聞いた人が文献として記録を残しています。
 特に地震に関してはその周期の長さから、過去の文献を読み取っていつ頃どのような規模のものが起きていたのかを確認していくことで、現在の地震学とあわせてより精度の高い地震の予測ができるのではないかと考えられています。
 京都大学や東京大学が中心となって「古地震学」を研究しているそうですが、webを使って様々な人が共同で文献を読み解いていくプロジェクト「みんなで翻刻」が京都大学古地震研究会主催で実施され、災害に関する古文書が日々読み解かれているとのこと。
先日、東京大学地震研究所の古文書の一部の解読が完了したという記事も見つけました。
過去が紐解かれていくことで、今まで分からなかった、または知られなかった地震や災害のことがこれからわかってくるかもしれません。
翻訳支援ソフトも使えるようですので、興味のある方は是非一度「みんなで翻刻」プロジェクトのサイトを覗いてみてください。

 なお、「みんなで翻刻」に参加するには、FacebookやTwitterのアカウントが必要なのと、現時点ではパソコンからしか見られないそうですので、あらかじめお知らせしてきます。

 また、東京大学地震研究所図書室のホームページ内「著名地震別「地震資料」」「浜田地震」に関する資料を見つけましたので、併せてリンクを貼っておきます。興味のある方はこちらもご覧ください。

灯りを作ろう~ごま油の場合~

 前回はサラダ油で灯りを作ってみました。
 油ならとりあえず燃えるのはわかっているわけですが、その種類によって燃え方や使い方が違うのではないだろうかということで、今回はごま油を使って灯りを作ってみることにしました。

ごま油ランタンの材料

材料は、ごま油、芯を支えるアルミホイル、油を入れて燃やす皿、そして、今回は芯にキッチンペーパーを使ってみることにしました。

こよって芯を作る

まずはキッチンペーパーをひねって芯を作ります。

芯に油を吸わせる

次に芯をアルミホイルで包み、 皿にごま油を注いで芯を浸します。分量は、前回のサラダ油と同じくらいにします。

芯全体を油に浸す

・・・10分経っても油が吸い上げられないので、全体を油に浸します。サラダ油も吸い上げが悪かったので、こんなものかもしれません。

火をつけるとちゃんと燃える

火をつけてみました。ちゃんと燃えます。

 しばらくすると、油が吸い上げられていないみたいで芯が燃え尽きてしまいました。アルミホイルが油の吸い上げを邪魔しているかもと考えて、今度は外して芯に火をつけてみます。

 灯りの雰囲気はなんだか江戸時代のような雰囲気です。ただ、油の吸い上げは相変わらず悪くて芯が燃えている感じです。そのうちに芯全体に燃え広がりそうな感じになったので、危険と考えて今回は中止しました。
 ごま油はサラダ油に比べて粘度があるのでそのせいなのか、それともキッチンペーパーの油の吸い取りが悪いのか、少し悩むところです。
 また、そのうち確かめてみたいと思います。