過去の歴史を紐解いてみる

 災害が発生するたびに「想定外」という言葉が飛び交っていますが、それは本当でしょうか?
 例えば、水害が起きている地域の歴史を紐解いていくと、結構な頻度で大規模に水害が発生していることがわかるはずです。
 ハザードマップを作るときに「1000年に一度の降水量」で計算していると書かれていたりしますが、この数値はあくまでも統計数値のある百年程度の降水量から計算で「これくらいなら1000年に一度は起きそう」といってはじき出されているものに過ぎません。
 過去の歴史資料にあたっていくと、「1000年に一度」の規模の水害が200年に一度起きてたりすることがざらにあります。
 これは計算方法が間違っているというよりも、計算できない不確定要素が多すぎるということなのですが、過去の記録が驚くくらい残っているのに、その記録が防災関係ではあまり活用されていないのが実態ではないかと思うことがあります。
 過去ばかり見ているわけにもいきませんが、少なくとも歴史を調べることで、過去にどれくらいの水害が起きたのかということはわかりますから、その記録を元にして防災計画を立てることが必要なのではないかと思います。
 確かに河川改修や護岸整備で昭和、大正、明治、江戸以前に起きていた水害は起きなくなっているかもしれませんが、どこが切れてどこが浸かったかというような情報は現在でも活用できます。
 こんなことを書くのは、今日伺った山口県萩市須佐町にある萩市立須佐歴史民俗資料館「みこと館」というところに展示されていた墨書された床板を見たからです。
 この地域は2013年7月23日に水害で大規模に水没しました。そこで再発見されたのが、地元の方から寄贈された一枚の床板でした。この床板に文字が書かれていたために寄贈されたのですが、水害が起きた後、これが過去の水害の記録だったということがわかったそうです。
 記録には「文政四年巳七月二十日朝洪水(以下略)」と書かれており、文政4年、1821年にもこの規模の水害が起きた旨の記事が書かれていました。写真撮影不可でしたので、現物はぜひお出かけいただいて見ていただければと思うのですが、千年どころか、二百年前にも同じような水害があったことが被災者本人によって床板に記され、他にもこの文政4年の大水害で被災した場所を示す地図なども見つかっており、そういったものを参考にしていたなら、被害の起き方は変わったかもしれないなと感じました。
 歴史というのは案外と馬鹿にしたものではありません。過去の災害を見直すことで、これから起きるであろう災害とその規模もある程度は予測できると思っています。災害関係の対策を行うときには、コンピュータによるシミュレーションはもちろんですが、過去の文献や口伝による被害もきちんと加味して計画を行うべきではないかと考えています。

安全を比較して避難する場所を決める

 自分の住んでいるところがどのような災害に対して弱いのかを考えたことがありますか?
 最近の災害では「避難所への避難」をやたらと呼びかけていますが、避難しなくてはいけないかどうかは、お住まいの環境や条件によって異なります。
 隣り合う家でさえ、避難すべきかどうかの条件が異なるのですから、周囲のことは全く参考になりません。あくまでもあなたがお住まいの家がどのような災害に弱いのかをあらかじめ知っておくことが大事なのです。
 ハザードマップやお住まいの建物の強度や補強状況、土地の成り立ち、避難経路の危険箇所や避難所の状況などを確認して、家にいるのか避難所にいくのか、「より安全な方」を選択すること。
 そして、「安全な方」をより安全にするためにはどのようにしたらよいかを考えてください。
 マスメディアなどでよく取り上げられているように「災害発生予測=早めに避難所へ避難」というのは間違いではありませんが、避難所によってはお住まいのところよりも危険度が高いという場合もあります。
 また、家にはなんの被害もなかったのに、避難途中で遭難してしまうようなケースもあります。
 もちろん家の耐久度が低い場合や水没しそうな地域の場合には早めの避難が必須ですし、台風のような大規模災害が予測されるような場合なら、いっそのこと勢力圏外へ避難するのも大切なことです。
 安全は自らが確保するもので、誰かが守ってくれるものではありません。
 どの災害ならどこが強いのか、どの災害はどこへどうやって避難したらいいのかを何でも無いときに確認し、いざというときに備えておきたいですね。

地震あれこれ

 日本は地震大国だということはよく言われるところですが、あなたは地震についてどれくらい知っていますか?
 別に知らなくても困らないのですが、知っていると役に立つかもしれない地震の知識について、今回は整理してみたいと思います。

1.地震の種類

 地震とは、文字通り「地面が震える」ことで、大まかにわけるとプレート境界型と活断層型に分かれます。これがそれぞれどのようなものかということは、過去に「プレート境界型地震と活断層型地震」という内容で触れていますので、興味があったらリンク先をご覧ください。
理由はいろいろありますが、簡単に言うと何らかの理由で地球内部の力がぶつかる場所で起きるものだというイメージであればいいのかなと考えています。

2.震度とマグニチュード
 地震が発生すると、ニュースでは「この地震はマグニチュード4、震源は○○で深さは○○km。主な震度は、○○が震度4、××が震度2・・・」といった感じで伝えられることが多いですが、震度とマグニチュードの違いはご存じですか?
 「マグニチュード」は、地震そのものの大きさを表すものです。マグニチュードは1あがると強さが32倍になります。そのため、この計算で行くと地球上で起きる地震によるマグニチュードは10までだそうで、それ以上は地球が破壊されるレベルのエネルギーとなるため、地震としては想定しないことになっているようです。ピンと来ない方もいらっしゃると思うので、youtubeで「人の死なない防災」さんがアップロードしている「【マグニチュード比較】南海トラフの巨大さが体感できる動画」をご紹介しておきます。
 ともあれ、震源で起きる地震の強さを表すため、一つの地震ではマグニチュードは一つの表示となります。
「震度」は地震により発生した震動が伝わった場所の揺れの大きさを表すものです。距離や地盤の強度、震源の深さなどにより、同じ距離であっても異なる震度が記録されることが殆どです。

震源は一つなのでマグニチュードも一つ。同じ距離でも、様々な条件で伝わる振動が異なるため、震度は観測点の数だけ存在する。

マグニチュードの数値は一つしかなく、震度は観測点の数ほどあると考えておけば問題ないでしょう。

3.地震の揺れには周期がある
大きな地震になると、地面が殆ど揺れていないにもかかわらず、高層ビルが大きく揺れているような場合が見受けられます。
これは地震の振動が様々な波を持っていて、その揺れによるもの(揺れが一往復する期間を周期と呼びます)ためですが、大きな地震になるほどゆっくりとした周期の長い大きな揺れが発生するため、これを特に「長周期震動」と呼びます。
建物にはそれぞれ固有の揺れやすい周期というものが存在し、地震の周期と建物の揺れやすい周期が重なると共振現象が起きて建物が大きく揺れることになります。
建物が高層になればなるほど周期の長い大きな地震と共振しやすくなるため、より大きく揺れることになります。建物によっては数mの幅で揺れることも起こりますので、高層ビルの高い階はよりしっかりとした耐震対策を行う必要があります。
長周期震動については気象庁の「長周期振動について」でよりわかりやすく説明されているのでそちらを参考にしてください。

【開催報告】防災マップ作りを開催しました。

事前準備は前日に行いました。

 本日8月8日、高津公民館で地域の防災マップ作りを開催しました。
 今回のテーマは「高津小学校から高台の避難所への避難経路の確認」で、小学生4名が参加してくれました。
 午前中はコースを実際に歩いてみるということでしたが、曇り空のおかげでそこまで暑くならないうちに現地調査が完了しました。普段から道路や建物は意識しているようでしたが、地図を持って回ってみると、案外と安全に避難できる道が少ないことに気づいたようです。

 公民館に帰ってから、お互いの地図を確認して非常食を使ったお昼ご飯。

 今回は炊き込みご飯の食べ比べということで、尾西食品さん、アルファー食品さん、サタケさん、そしてモンベルさんのアルファー米ともう一つ缶詰の炊き込みご飯を用意しました。缶切りを見たことの無い子ども達はどうやって使うのか試行錯誤してなんとか開封することに成功しました。また、じゃがりこを使ったポテトサラダも作り、最後は缶詰のデザートで大満足だったようです。
 午後からは自分たちの記録を元にして地図を作っていきました。

 初めてする作業なので、子ども達はいろいろと試行錯誤の連続。スタッフは出したくなる口を押さえて作成を見守り、なんとか時間ぎりぎりに完成しました。
 いろいろと思うようにならなかったようですが、始めて完成させた防災マップ。
 参加してくれた子達からは「一人で逃げる場合と大勢で一緒に逃げる場合には使える道が違うのがわかった」「大きな道は車も多く通るので、たくさんの小学生がそこを横断できるかわからない」といった感想をいただきました。
 これを元に、またいろいろと自分や仲間の安全対策について考えてくれるといいなと思います。

皆さんお疲れ様でした!

 なお、今回は「社団法人日本損害保険協会」様の開催してる「小学生のぼうさい探検隊コンクール」に出すことになっています。
 コンクールをご紹介いただき、今回の防災マップ作りでもご協力いただきましたあるむ保険プランの大谷様にも、厚くお礼申し上げます。
 今回初めて防災マップ作りをしてみましたが、わずかな時間ではあっても、子ども達が得るものはとても大きく感じます。興味を持たれたら、ご家族でも学校でも職場でも、ぜひ一度作ってみることをお勧めします。
 また、一緒にやってみたいというお話がありましたら、ぜひ当所「お問い合わせ先」までご連絡いただければと思います。何かお手伝いできることがあるかもしれません。
 最後になりますが、会場を快く貸してくださった高津公民館様、参加してくれた子ども達、そして支援してくれたボランティアスタッフの皆様に心から感謝します。 ありがとうございました。

活断層を見てみよう・浜田沖他海中断層

 ずいぶんと前に弥栄断層についてご紹介したことがありますが、島根県の作成した「地震・津波被害調査報告書(概要版)」では、海の中にある海中断層についても触れられています。今回はその海の中にあるとされる活断層をいくつかご紹介できればと思います。

波子海水浴場から浜田市の沖合を望む。

 まずは浜田沿岸にある活断層から。ここは過去の地震の記録から地震が起こりうる場所として設定されています。
 さて、この活断層が動いた場合にどうなるのかというと、想定ではマグニチュード7.3、震度6強となっています。 

国府海水浴場から沖合を望む。

 次に浜田沖合断層。この地震は発生するとマグニチュード7.3が推定されています。ここの設定は1872年に起きた浜田地震の震央部で再び起きるものとして想定されています。浜田地震における推定マグニチュードは7.1。最大震度は、気象庁の公開情報では不明となっていますが、震度7程度ではなかったかという資料があります。
 割と最近の地震ですのでさまざまな記録が残っていますが、海岸が隆起して畳ヶ浦の誕生と小規模な津波の発生はあったようです。
 なお、この畳ヶ浦は浜田の観光地の一つで、非常に面白い地形をしていますので一度見学に訪れてはいかがでしょうか?

また、海で起こる津波の到達時間は益田市土田漁港に到達するまでが22分、最高水位が1.22mとなっています。

 この他にかなり大きな断層として島根西方沖合(F57)断層が確認されていて、ここが動くとマグニチュード7.5、震度6弱、津波は益田市土田漁港に到達するまで47分、最高水位が3.48mと予測されています。
 いずれにしても海底活断層が動いた場合にはもれなく津波もついてきますので、震源が海底である場合には速やかに高台に避難することが大切です。

 なお、詳しい情報が知りたい方は、「島根県・地震被害想定調査報告書」のウェブページをリンクしておきますのでご一読ください。

避難時に水の中を歩けるか?

 水にかかわる災害の時に、逃げられる水位の話が必ず出てきます。
 膝までなら大丈夫という人、15cmまでなら歩けるという人、水が出たら歩くなという人、ちょっと調べただけでもさまざまです。
 自分の体験から考えると、せいぜいくるぶしくらいまで。それ以上浸かると足下をすくわれるかなと考えています。
 自分のくるぶしということで計ってみたら、10cmくらいでした。
 ただ、これは成人男性の場合ということになるので、女性や子どもだと当然その深さは変わります。

川遊びの一コマ。左の大人の足はくるぶしの上まで水に浸かっているが、右側の2歳児は膝下まで水に浸かっている。大人が手を離すと簡単に足下をすくわれてしまう。

 自力で歩いて避難できる年齢だと5~6歳以上になると思いますが、これくらいの年齢の子どもだと、くるぶしまでというとせいぜい5cmくらい。体重が軽いので、実際のところ5cmでも流れがあったら流されてしまうでしょう。
 こうなってくると、水が出たら歩くなというのが一番正しいような気がします。
 「水の中を避難するときには複数名で、ロープを繋いで、棒で足下を確認しながら避難する」と書かれた本もあるようですが、体は絶対にロープで繋いではいけません。流れのある深みに誰かが落ちた場合、ロープに繋がれた人が水の勢いでみんな溺れてしまう事態が起きうるからで、繋がれたロープのおかげで助かるなどということはまずありません。
 複数名で、棒で足下を確認しながら移動するのが正解ではないかと思います。
 そして、避難所までの道のりと避難するときにはまりそうな溝やマンホールといったものを平常時にチェックし、頭にたたき込んでおきましょう。
 さて、水が流れていない状態で足下がしっかりとしているのであれば、膝くらいまでは水に浸かっても大丈夫そうですが、この場合には足を守るために運動靴かマリンシューズを必ず着用することが必要です。よく使われる長靴は、中に水が入ると重たくて歩けなくなります。
 そして、水の中を避難するときには換えの靴と靴下、そして足を拭くためのタオルは必ず用意してください。避難完了後に足が濡れたままでは避難所に収容してもらえません。
 ともあれ、短時間で地域が水没するような事態にでもならない限りは、水が溢れる前に避難所へ避難を完了することが大事だと思います。

治水対策と堤防

 島根県出身の錦織良成監督が当石西地方を流れる高津川を舞台に映画を撮影され、先頃完成したようです。
 どのような映画なのか気になっているところなのですが、川を防災の視点で見るとやはり治水対策を切り離すわけにはいきません。
 総延長が長く、昔は水の水量も多く交通の要となっていた高津川は、治水対策は堤防を築くのではなく、遊水池を作ってしのいでいたのでは無いかと思わせる地形になっています。
 川の流域に広がる良田は、洪水などで水が溢れたときにその水を貯め込めるような位置に広がっており、古くからある住宅地からは少し離れた位置にあり、その位置関係を見たとき、昔の人たちは田で氾濫した水を受け止めることで、自身の命や財産を守ってきたのだろうなと思います。
 現在は川の両岸にはしっかりとした立派な堤防が建設されており、かつての遊水池にも家が建ちつつありますが、最近の豪雨を考えたら、堤防が川の水を支えきれるとは言えない状況になっています。もし川がはん濫したら、その住宅地は水の中に孤立してしまうことになりそうですが、新しくそこに家を建てて住む人たちは家が水没することを理解しているのかなと考えてしまいます。
 他の河川の流域で、人口が多く川がはん濫することが認められない地域では、昔からさまざまな堤防が試行錯誤しながら作られてきました。
 矢作川(やはぎがわ)の柳枝工(りゅうしこう)などはかなり有名ですが、川の勢いに逆らわず、柳の根の張り方を利用しながら、かつ柳の木が大水で流されないように堤防を維持し続けることは大変だったろうなと思います。
 そういった堤防を守ってきた文化がある地域と、遊水池を作ってはん濫を川にゆだねていた地域では、堤防に関する意識も違ってくるのでは無いかと思うのです。
 川がはん濫したときに浸かることが予想されている場所は、今なら防災ハザードマップを見ることですぐに分かります。
 その地域に家を建てるのならば、当然土地の嵩上げはしておかなければなりませんが、地域によっては、その嵩上げをすることが周囲に被害を与えると誤解している人たちもいるようです。水に浸水するのなら地区の人はみんな浸からないといけないというのはいかにも日本風ではありますが、復旧の拠点となる家が水に浸かってしまっては、自分の生活も地区の復旧もまったく目処が立たない状態になってしまうということだけは忘れないようにしておきたいものです。
 そして、長い期間堤防を守ってきたところでは堤防は切れるかもしれないものという意識がありますが、最近堤防を作ったところでは、堤防は切れないという意識でいるような気がするのです。
 どれだけ技術が進歩してさまざまな工法が開発されたとしても、100%守り切れるという保証はありませんしできないと思います。
 堤防を過信するのでは無く、水が氾濫したときに自分がいる場所はどうなるのかということをしっかり意識したいものですね。

水は昔の流れを覚えている

 ずいぶん昔のことになりますが、昭和58年7月に起きた島根県西部水害で氾濫した益田川の氾濫部分と、どんなものだったのかは忘れてしまったのですが昔の絵図面とを比較してみたことがあります。
 すると、川から氾濫した水は絵図面にあるような場所に沿って流れていることがわかりました。
 度重なる河川改修で流れが変わっていても、氾濫したときには昔流れていた場所を流れていくのだなと妙に感心したことを覚えています。
 もっともそういう場所は、以前は田しか作られておらず、万一河川が氾濫したときに遊水池として被害を防ぐような作りになっていました。
 益田川と高津川の二本の川に挟まれた益田平野は、そのため河口に田の多い土地となっています。
 ただ、今の益田平野を見ると、元は河川敷だった場所や遊水池にかなりの建物や道路ができており、もしも河川が氾濫したらこれらの地域は氾濫した水に浸かってかなりの被害がでそうな気がします。
 あなたがお住まいの地域は水に浸からないくらいの高さが確保されていますか?
 万が一の時には、きちんと避難先が決めてありますか?
 少なくとも昔の川や遊水池だった場所に住んでいる場合には、水による被害は考えておかないといけないことだと思います。
 水は昔の流れを覚えています。
 そのことを忘れないように備えをしておきましょう。

避難の時の逃げ道を検討する・水害編

ここ数年、高津川は上流域の大雨により危険水位まで上昇することが増えている。写真は2018年
7月に撮影したもの。

 当研究所を始めるに当たって、研究所の所在地である益田市高津町上市で水害が起きた場合、もしくは起きると想定した場合、どの時点でどこへ避難するかについて研究員達と検討したことがあります。
 先日、益田市のハザードマップが更新されたことに伴って情報が追加されましたので、この情報を元にどのように避難を考えたらいいのかをもう一度考えてみたいと思います。
 考えてみたら、災害時の避難というのはさまざまな判断が求められ、その上住んでいる場所によっても判断が変わるものです。
 以前に避難経路を考えてみる必要があることについては触れていましたが、今回は、地元の地区を例に挙げて、水害対策についてどのように検討したらいいのかについて考えてみます。

1.ハザードマップの限界

  いきなりなのですが、行政の製作するハザードマップには限界があります。
 今回は時期的に水害対策で検討をしたのですが、ここで予測されているのは「想定された氾濫時に最大でどこまで浸水するか」というものを示した図でしかありませんので、どのあたりから越水して堤防が切れ、どのように浸水するのかについては当然ですがわかりません。
 でも、避難をするに当たってはどこからどのように水が流れてくるのでどこへどんな風に避難すればいいかということが大切な検討材料になります。

2.水の特性を考える

 水は必ず高いところから低いところへと流れていきます。つまり、流れている川のカーブでは、カーブから見て上流側の堤防よりも下流側の堤防に力がかかります。
 そのため、同じような堤防であればより力のかかる側の堤防が決壊する可能性が高いと考えられるわけです。

国土地理院の地図を3m刻みで着色したもので、川は図の下から上に向けて流れている。川の合流点から変電所の脇を抜け、奥の田に向けて低地があるため、水害発生時にはここが最初の水の道になりそう。

3.地域の特性を考える

上市地区の少し上流部には川の合流点があり、ここで本流と支流がぶつかります。大雨が降って水量が増しているときには、支流の水は本流にはじかれてしまうので、合流点で水が滞留しやすくなります。バックウォーターと呼ばれるこの現象が起きると、逃げ場を失った水は堤防を越水して低地に向けて流れ込んでいきます。

 また、排水路が一カ所堤防の中腹に抜けていて、ここには逆流防止装置がついていないことから、排水路を越える水が流れてきた場合、ここから水が噴き出してきます。昭和47年7月の水害では、この付近から水が越水し、家屋流出の被害も出たことをお住まいの方からも伺っています。

4.水がどこを通って流れていくかを考える

 バックウォーターで越水すると、水の流れは人麻呂神社の駐車場から翔陽高校の実習田がある方へ流れていくことになりそうです。また、神社前から下流に向けても角度がついていますので、水は二手に分かれて流れていくことが予測できます。

最初の地図に水の流れる方向を落とし込んだもの。郵便局の周りが上市地区になるが、高手に避難しようとすると、どうやっても水の道を突破しなくてはならないことがわかる。

 また、蟠竜湖停車場線は翔陽高校方面に向けてゆるやかに下降しているので、ここも水の道になることが予測されます。また、排水路からの逆流水もここを流れていくことになりますので、殆ど川状態になりそうです。
 どちらにしても、この場合には側溝が溢れる内水面越水ではなく、川を流れる濁流ですので、一度氾濫すると流れてくる水の勢いは歩ける状態ではなさそうだということも予測できます。

5.避難する先はどこになるかを考える

 上市地区の近傍の避難所である「高津小学校」は水没地域のど真ん中、「高津公民館」は家屋倒壊等氾濫想定地域のど真ん中にあり避難所としては不適切です。おまけに上市地区と各避難所を結ぶ避難路がもろに水の通り道になってしまうのでどちらにしても避難することは現実的ではありません。

柿本神社は土石流警戒区域になっているため、荒天時の避難には注意が必要。ただ、柿本神社を抜けて万葉公園の管理センターに避難するのが一番無難そうではある。

 水に浸かる可能性のない「万葉公園」「翔陽高校」「希望の里」そして画像では切れていますが「高津中学校」が避難の選択肢となりますが、避難するのであれば越水する前という条件がついてきます。

6.結論

 上市地区はハザードマップ上の浸水域は2~3mとなっています。最悪の場合には、住家内で2階への垂直避難を行えば助かることはできそうです。
 ただ、より安全を考えるのであれば、国土交通省が出す高津川氾濫情報の氾濫危険水位到達時に避難を開始することが必要で、避難先との調整をしておく必要があるということになります。また、高齢者が非常に多い地域なので、親戚や知り合いが高手に住んでいるようなら、気象庁の「Lv.3発表」時点や、高津川氾濫情報のはん濫警戒水位に達した時点で域外に移動してしまうことも検討すべきでしょう。

 以上、簡単に地区の水害に対する分析を行ってみました。
 この分析結果をどのように使うのか、使わないのかはそれぞれの判断となりますが、これからの季節、お住まいの地域やおつとめの地域のハザードマップと国土地理院の地図を使って、もし水害が起きそうな状態になったら自分のいる場所ではどのようにしたら安全が確保されるのかについて検討してみてはいかがでしょうか。

災害遺構を訪ねて2・「松崎の碑」

 石見地方の災害史を紐解いていくと、沿岸部では結構な高確率で「万寿の大津波」というキーワードにぶつかります。
 西暦1026年の万寿3年に石見地方を襲ったとされる大津波で、各地にさまざまな伝承や逸話が残っています。今から千年近く前の大災害が未だに語り継がれているわけで、それだけ大被害を与えた津波だということなのですが、逆に言えば、それ以降大きな津波災害が起きていないとも言えます。
 さて、今回はそんな万寿の大津波で海に没した鴨島にあった神社からご神体が漂着した現場に建てられたという碑をご紹介します。
 とはいえ、この碑は災害直後に建てられたわけでは無く、ずっとずっと後になって「ここへご神体が漂着した」ということを記録に残したいという人によって建立されたものです。大津波の発生は万寿3年(西暦1026年)。碑の建立は文化8年(西暦1811年)ですから、およそ800年後に建立された碑というわけです。

益田側から来ると左手にこんな看板が見える。でも駐車場はこの看板の手前。
行き過ぎないように注意が必要。

  場所は、益田市高津町。平成15年に松枯れした「連理松」のあった場所です。現在は「金刀比羅神社+恵比寿神社」の社の横に、連理松の看板とともに「松崎の碑」として鎮座しています。

左が「金刀比羅神社+恵比寿神社」の拝殿。合祀されたものなのかどうかよくわからないが、手前にある鳥居の表示もこの2つが併記されている。ちょっと珍しい気がする。

  由来を簡単に書くと、「遙か昔、歌聖として知られる柿本人麻呂の終焉の地とされる益田沖にあった鴨島に、人麻呂自身が掘ったとされる像を安置した祠があった。
 万寿3年(西暦1026年)の大津波によって鴨島は一夜にして海中に没したが、像は二本の松に支えられて高津の吹上浜に漂着した。このことから、この地が松佐起、つまり松崎と呼ばれるようになった。地元の人がその場所に小さな祠を建ててお祭りしていたが、紆余曲折を経て、延宝9年(西暦1681年)に高津城二の丸跡である現在の場所へ移転改築された。その後、文化8年(西暦1811年)に藤原持豊卿によって上記の伝承を末永く伝えるため、由緒碑を建立した」そうです。

由緒碑はわりと大きなもので、表面には文字がびっしりと書かれています。

碑の手前、入り口のところにある看板の拡大図。この碑の由来が丁寧に書かれているので、一読するとよく分かる。碑に刻まれている文字も全文が書かれているので、こちらを参考にする方が読みやすい。

 碑の手前に由来や書かれている文字についての説明書きがありますから、そちらを読めば大丈夫です。
 また、在りし日の連理松についても碑の横にある「高津連理の松」の案内文で偲ぶことが可能です。
 海からは割と近く、海抜11m程度なので、話としてはそれなりに信憑性はあるのかなと思いますが、実態については正直なところよくわかりません。
 この碑を建立した理由が「伝承を忘れないため」ということなのですが、確かにこの碑が無ければ誰も知らない話になっていたかもしれないので、建立した人は「人は忘れるものだ」ということをよく知っていた方なのでしょう。
 ちなみに、神社の横はちょっとした駐車場になっていて、「松崎の碑」の見学で利用することができます。
 この駐車場のさらに横は児童館になっていて、平日の夕方は学童保育で賑やかですので、行かれる方はご注意くださいね。

20190929追記 他の災害遺構の見出しが「災害遺構を訪ねて」になっていたため、タイトルを「災害遺構を探して」から変更しました。