災害遺構を訪ねて15「中山八幡宮の復旧記念碑」

 昭和58年7月の大雨による水害は、島根県西部のあちこちに大規模な被害を与えました。
 災害からの復旧には大変な金額と労力がかかったわけですが、他の災害に比べるとあちこちに立派な復旧記念碑が存在しているのはこの災害の特徴のような気がします。
 今回ご紹介するのは、そんな記念碑の一つである益田市赤雁町の中山八幡宮境内に置かれた復旧記念碑です。


 広い境内は地域を見下ろすような高台にあって、この神社が昔から水害時の避難所として使われていたのだろうなと推察できるような場所です。
 傍らにはこの八幡宮の由来が掲示されていて、復旧記念碑はその横に置かれており、碑の裏には「建碑の主旨」としてこんなことが書かれています。
「昭和58年7月23日豪雨による古今未曾有の大水害も益田市及び国県の温かい援助により河川耕地共に全面的復旧工事が施工され再び災禍なきを祈念 ここに謝恩をこめて記念碑を建立する」

 それから工事概要や施工業者、市長やこの地域の災害復旧に尽力したと思われる方の名前が刻まれています。
 特に教訓や鎮魂、何が起きたのかを後世に伝える目的で建立されているわけではないようですが、地域が復旧するたびにこのような記念碑を作ることができた当時の勢いはすごいなと思います。

災害遺構を訪ねて14・石碑「益田川災害復旧竣工記念碑」

「益田川災害復旧竣工記念碑」と書かれており、益田川災害復旧工事が完了したことを記念して建てられたもの。

 災害に関する碑には大きく分けると3つのタイプがあると思っています。
 1つ目は死者や行方不明者に対する慰霊碑。2つ目が後世に教訓を伝える碑、3つ目が復旧に関わった人達を称える碑です。
 個人的な感想としては、碑の大きさ、立派さは3、1、2の順番になっているような気がしますが、今回ご紹介するのは3のタイプの碑です。
 昭和58年の水害で氾濫した益田川の河川復旧工事が完了したことを記念して建てられた碑ですが、碑のお隣には河川改修が終わったことを称える文字と、それに関わった期成同盟会の人の名前が彫られた石が置いてあります。

益田川改良復旧期成同盟会のお歴々のお名前が記された石版。災害復旧は普通に行われると思うが、このお歴々の活躍で無事に終わったと言うことなのだろうと考える。

 確かにこの河川復旧工事と益田川ダムの完成もあって、益田川は越水していないのですが、わざわざ工事を施工したわけでもない人達の名前を刻む理由がよくわかりません。
 行政機関が復旧工事をすると必ずこの手の碑が設置されるのですが、どうせお金をかけるのであればもう少し何かの役に経つ碑が作れないのかなと思ったりします。
 この竣工記念碑は、「災害遺構を訪ねて1」で紹介した「58災害防災祈念碑」の川向こう、益田川を挟んで反対側に置かれており、道路脇にありますのですぐわかると思います。