災害訓練とゴミ

 災害対応訓練を一般の方向けに実施すると、結構な割合で炊き出し訓練がくっついています。
 その時には、基本的に使い捨て容器が使われるわけですが、この処分の方法が可燃物も不燃物も容器包装プラスチックもごっちゃになっていることが非常に多くて、ちょっと首を傾げてしまいます。
 確かにゴミの処理というのは大変ですし手間もかかり、燃やせるものは燃やしてしまえという考え方もわかります。
 ですが被災後のゴミは、そうでなくても膨大で多岐に渡るものが出ますから、分別できるものはできるだけ分別しておく必要があるのではないでしょうか。
 水を大量に使うことができないからといって発泡プラ容器で食事を提供し、そのまま燃えるゴミというのはよくある例ですが、そこまでリアルさを追求するのであれば、食器にビニール袋やラップなどを掛け、それらを使うことで食事後のゴミを減らすところまでしてもよいのではないかと思っています。
 訓練以上のことをできる人は殆ど居ませんから、訓練の時にこそ、ゴミをなるべく出さない、ゴミを減らすような練習もしておくといいと思います。
昨今は新型コロナウイルス感染症関係であまり炊き出し訓練はされていないようですが、もしされることがあるのであれば、ゴミの省力化まで考えて訓練することをお勧めします。

常識と非常識の狭間

 被災後の被災地での生活では、それまで常識だと信じていたことが非常識になることがたくさんあります。
 なかでも、性に関する問題は常識と非常識がぐちゃぐちゃになって、現地の当事者になってしまうと何が本当なのかさっぱりわからなくなってしまいます。
 例えば、普段の生活の中で女性が着替えをしているところを覗くと、明らかに犯罪です。
 ところが被災地の避難所でそういったことが起きてしまっても、覗いた方では無く覗かれた方が悪いことになってしまったりします。
 同じように、寝ている女性の布団に近所のおっさんが入ってきたとします。
 普段から間違いなく犯罪ですが、被災地の避難所では「それくらい我慢しろ」と言われてしまったりします。
 その避難所の男性陣からそう言われるだけではなく、女性陣からも同じような発言があったりすると、いったい何を信じて良いのかわからなくなってしまうでしょう。
 こうやって考えてみると、常識と非常識というのはその場に居る人や雰囲気、状況によっていかようにでも変化するものであり、常識などは人の数だけ存在するのでは無いかと考えることもできそうです。
 大規模災害が起きると、被災地は必ず治安が悪くなります。日本人は規律正しいと言われますが、全ての人がそうではありませんし、悪さをするやつはします。そして、災害という事態で自制心が飛んでしまった人にとっては、平時においては犯罪となる行為をやってしまうことに罪の意識はありません。
 ではどうすればいいか。
 残念ながら、同性同世代で自衛するしか手がありません。決して単独行動は取らない。避難所でも寝ずの番を複数立てるなど、犯罪に遭わないような対策を取るしか手が無いのです。非常時には、平時の常識は通用しないと思って下さい。
 自分達の身は自分たちで守るしか無い。
 「自決主義」というと言い過ぎかもしれませんが、犯罪を犯そうとしたものは自らの手で始末する。それくらいの覚悟がいるのではないでしょうか。
 一番良いのは、常識が非常識にならないような災害後の治安維持ができればいいのですが・・・。

阪神淡路大震災を知っていますか?

1995年1月17日午前5時46分。兵庫県の淡路島から神戸市にかけて発生した大きな都市直下型の地震でした。
太平洋戦争の後、高度成長期における日本ではさほど大きな地震に見舞われることが無く、ある意味で地震の怖さを忘れていたとき、この地震は起こりました。
結果として震災関連死を含む死者6,343名という、それまでの地震ではありえないような数の犠牲者を出すことになってしまいました。
この地震の影響は大小さまざまなところへ波及していきますが、災害支援ボランティアがあちこちで活躍したのもこの災害がきっかけとなっています。
この災害には、筆者の知り合いもたくさん巻き込まれました。
幸いにして多くの知り合いは無事でしたが、その知り合いにどのような手助けができるのかを、真剣に悩んだ記憶があります。
結局出かけても手伝えることは無く邪魔になるだけと言うことで、何もできなかったのですが、何もできないのかというその時の葛藤が、現在の防災研究所を立ち上げる遠因の一部になっています。
既に25年が過ぎて、「覚えていますか」から「知っていますか」と言った方がいい感じになってきましたが、その時に何が起きたのかについては決して風化させて良いものではないと思います。
被災当事者であっても、時間が経てばその時どうだったのかは記憶の彼方になってしまいます。
でも、いろいろな現在の災害対策が起こるきっかけとなったあの震災は、できうる限り語り継いでいって欲しいと思っています。

災害対策って誰の仕事?

 防災という話が出てくると、決まって出てくるのが「防災とは誰がやるべき仕事なのか」という押し問答です。
 最近でこそ「自助」「共助」「公助」の話が普通に出てくるようになってきて、個人ですべき備え、地域ですべき備え、そして行政機関などがすべき備えの仕分けができつつありますが、それでも未だに災害対策は国や県、市町村の仕事という認識の方が大勢いらっしゃいます。
 「住民の命を守るのは行政の仕事であって、そのために高い税金を払っている」と言われる方もそれなりにいらっしゃって、なかなか自分自身の命を守るのが自分であるという基本的なことがご理解いただけないこともあり、説明に悩むこともあったりはしますが、どうしてこんなことになっているのでしょうか。
 「昔から避難所の状況は変わっていない」とか、「なぜ行政はいつも後手に回るのか」というご意見もあります。
 では、それらの意見を言われる方は状況を改善するために何か行動をされているのかというと、せいぜい行政の担当者に文句を言いに行く程度で、例えば避難所整備のための寄附をするとか、できるかぎり行政担当者がスムーズな仕事ができるように協力するとかいった建設的な行動はしていないような気がしています。
 話が少しずれましたが、こういったご意見が出てくるのは、災害対策は誰の仕事か、という根本的な整理ができていないからではないかと思うのです。
 答えを先に書いてしまうと、災害対策は誰の仕事でもなく、そして全ての人の仕事だという不思議な回答になります。
 自分自身や家族の命を守るための備えはそれぞれがしなければ誰もやってはくれませんし、地域で災害の被害の軽減を図るためには、行政機関による公共投資がどうしても必要になってきます。ただ、自分には関係ないと思い出すと、それは誰の仕事でもないものになってしまいます。
 本来、企業や学校、組織ではそれぞれの構成員を守るためのBCPがないと困りますし、経営者は普段から「いざというときには」という視点で経営計画を作る必要があります。では、普段の活動でそういったことを意識しながら行動をしているかというと、多くの人は疑問符がつくのではないでしょうか。
 本来、災害対策と無縁な人は恐らく一人も存在しませんし、災害対策とは自分の仕事なのですが、意識しなければ意識しないで災害が起きるまでは何の支障も無く生活できてしまうので、「自分以外の誰かがやる活動」と思うようになってしまうのです。
 「災害対策は我がこと」ということがわからなければ、いくら災害対策の話や研修会をやったとしても「いい話を聞いた」で終わってしまいます。
「災害対策は自分事」
 そう考えるところから災害対策を初めませんか。

【お知らせ】シニア災害ボランティアシンポジウムが開催されます。

1月から3月は防災関係の研修がなぜか多くなるのですが、シニア災害ボランティアシンポジウムがオンラインにて開催されることになったそうです。
内容は、
①「令和における災害ボランティアの在り方」として、講師は大阪大学の渥美 公秀 教授が、
②「災害時での情報活用に求められるもの」として、講師は京都大学の畑山満則 教授が、
それぞれ講演されたものを視聴することができます。
配信期間は、令和4年1月21日(金)から2月3日(木)で、参加申し込みが必要です。
手続きなど詳細につきましては、以下のリンク先をご確認下さい。

「シニア災害ボランティアシンポジウムが開催されます」(島根いきいき広場のウェブサイトへ移動します)

感染症の感染者数を考えてみる

 新型コロナウイルス感染症のオミクロン株が急速拡大しているようです。
 ようです、と書いたのは、普通の風邪も流行っているのと、PMや花粉が原因のアレルギー症も始まっていてどれがどれだかわからない状態になっているため。
 早めの終息を祈るところですが、新型コロナウイルス感染症では人流抑制、つまり人の移動を制限して感染を抑え込もうというのが基本的な対策になっています。
 では、もし制限しなければどうなるのかを極めて大雑把に考えてみました。
 計算方法は倍々ゲーム。一人の人が一日に一人、感染させると計算しています。
 初日は1人が一人に感染させたので、感染者は2人になります。2日目は4人。3日目は8人。
 1週間、7日目では128名となります。たいしたことないなと感じますが、ここからが問題になります。
 8日目は256名、9日目は512名、10日目で1,048名。15日目で33,536名で20日目に1,073,152となり、100万人を超えます。
 28日目には274,726,912名となって、日本の人口を超えてしまいます。
 実際にはこんなことにはなりませんが、最初の一人が一か月も経たないうちに2億人を超えるというのですから考えたら怖い話です。
 では、人流抑制をするとどうなるのか。
 当たり前のことですが、感染している人をそこから動かさずに人との接触を絶たせてしまえば、基本的に感染させることはありません。
 ロックダウンといわれる都市封鎖などは、それを狙って行われているわけですが、実際には物流も止めない限りは完全な隔離はむつかしいでしょう。
 また、ロックダウンを行うと同時に、感染していない地域では、感染が始まる前に、ウイルスが入ってきても大丈夫なような予防対策を徹底しておく必要があります。
 この二つができて、初めて感染症の抑え込みが可能になるわけです。
 ちなみに、日本の感染症対策では感染源を特定してそこから発生している可能性のある人を追跡し、感染者を抑え込むという方法をとっています。
 感染者数が少なくて保健所などの行政機関が対象者を追い切れ、感染した可能性のある人すべての協力が得られる状態であれば、これは極めて有効な手なのですが、現在のオミクロン株の場合、これだけ蔓延してしまうとどこで感染したのかは正直に言ってわからないと思います。
 感染を防ごうと思ったら、当たり前ですが自分で自分の身を守るしかありません。
 具体的には、ウイルスを体内に入れないようにすること。
 不要不急の人との接触はさける、マスクは常時着用し、もし外出したなら帰宅後にはマスクを交換する、流水を使ったしっかりとした手洗い。
 自分の衛生環境のレベルを上げることで感染するリスクを下げること。
 どれだけ努力してもリスクを0にすることはできませんが、できる範囲のことはやっておくことで、あなたと周りの人の感染リスクを下げることができます。
 倍々ゲームにならないように気を付けたいものですね。

とりあえず書き出してみよう

校内安全点検の一コマ。

 災害時にどのような行動を取るのかについては逃げ地図マイタイムライン目黒巻き地区防災計画に至るまでさまざまなアイテムが用意されています。
 ただ、割と多くの人が災害時の行動については頭の中にはあっても目で見えるようにはしていないみたいです。
 災害時を含む非常事態というのは、トラブルが加速度的に増えていきますので、早め早めに対応しないと行動ができなくなってしまいます。
 早めの行動というのは、考えていたことを目で見えるように書き出しておくことで、考えなくてもそれを見るだけで行動に移せることです。
 非常事態や緊急事態に備える必要のあるところには、ほぼ100%非常事対応マニュアルというのが用意されていて、考えられるさまざまな出来事と対応策、対応する順番が整理されていますが、これは非常時にはどんなにしっかりとした人でも100%の能力は発揮できないこと、そして考えられなかった異常事態が起きたときにそちらに対応するための能力を集中させるために存在しています。
 例えば、マイタイムラインを作成すると、備える必要のある災害、取るべき行動、そして最終的な対応まで一目でみることのできる一枚紙ができます。
 この紙を、玄関や冷蔵庫、トイレなどに貼っておくと、無意識に中身を見て覚えることができ、その結果、そこに書かれた事態になったときに考えなくても行動を取ることができるようになり、結果的に身を守ることができるのです。
 平時にあれこれと考えて対応策を決めるのであれば、それは必ず書き出して目で見えるようにしておきましょう。
 そうすることで、少なくとも災害時の行動に迷うことはなくなると思います。

怖い感染症

 年末年始にかけて新型コロナウイルス感染症のオミクロン株が蔓延しているようですが、感染症というと、新型コロナウイルス感染症だけでなく、インフルエンザウイルスやノロウイルス、ロタウイルスといった有名どころを忘れてはいけません。
 大規模災害で大規模避難所ができると、これらの感染症が避難所内で猛威を振るうことが非常に多くなります。
 日常生活だと、例えば風邪にかかっても家で寝ていれば直るのですが、避難所の場合だと、寝ていると避難所内の人に感染させる危険性があります。
 そこで感染者を隔離するわけですが、この手のウイルスは気がついたときには蔓延しているという場合が殆どですので、多くの場合打つ手なしの状態になります。
 これらを防ぐ方法は、しっかりとした流水によるこまめな手洗いとマスクの着用。アルコール消毒もある程度は有効で、実際に2021年は新型コロナウイルス感染症対策の手洗いが励行された結果として、感染症にかかった人が激減していました。
 ただ、大規模避難所になると充分な手洗いスペースや消毒スペースが確保できないという問題があります。元々今ある施設を避難所に転用しようという発想ですので、これは仕方の無いことなのかもしれません。
 また、日常生活の延長線上にある生活の場でもあるので、衛生概念のずぼらな人が一人いると、避難所内に感染症が蔓延することになりかねません。
 必要なことは、とにかく早期発見早期隔離なので、毎日の体調管理や検温は必須だと思いますし、少しでも体調不良な人は別室で隔離するくらいの対応が必要になってきます。
 また、トイレのような場所は不衛生になりやすくウイルスが蔓延しやすいので、しっかりとした清掃が必要になります。
 これらの管理がしっかりとできると、ある程度感染症対策はできると思うのですが、あなたの避難すべき避難先ではこういった衛生管理について、どのようにすることになっているでしょうか。

【終了しました】みんぱくゼミナール「大規模災害の経験を伝える」が開催されます

国立民族学博物館のみんぱくゼミナールで1月15日に「大規模災害の経験を伝える~遺構・記念碑・語り部・博物館の役割」が開催されます。
当研究所でも「災害遺構を探して」を掲載していますが、災害遺構は災害やそれにかかわる教訓を伝えるものです。
今回はその役割や課題について具体的な講演がされるそうです。
このゼミはオンラインでも参加することが可能で、締め切りは1月12日17時までとなっています。
詳細につきましては、リンク先をご確認下さい。

みんぱくゼミナール「大規模災害の経験を伝える~遺構・記念碑・語り部・博物館の役割~」(国立民族学博物館のウェブサイトへ移動します)

避難時の履き物を考える

靴にもいろいろありますが・・・。

 水害などでは、避難するときに長靴を履くのかどうかが割と議論になったりすることがあります。
 防災をやっている人の間では「水の害では長靴禁止」が基本になっているような気がしますが、これは中に水が入ると歩けなくなってしまうからで、周囲が水没を始めた後の避難が前提になっています。
 つまり、早めの避難であれば別に長靴でも問題ない、というか、足が濡れない分だけ長靴がいいのではないかと考えることもあります。
 いつの時点で行動を開始するかによって、使える履き物も変わってきますから、一概に運動靴ばかり押すのもどうかなという気もします。
 もちろん、汎用性が高いのは運動靴ですし、水の中を歩くときに水の抵抗が少ないのも確かなので、運動靴を勧めることは正しいのですが、履き物を考えるよりもさっさと避難しろ、というのが筆者の本音ではあります。
 いろいろな話があるのは確かなのですが、早めに避難するのであれば一番履き慣れた靴がもっとも安全というのが筆者の見解です。
 普段履き慣れない履き物を非常時だからと履くと、足が慣れていないので帰って危険になることもあるのではないかと考えますので、履き慣れた靴が水没したときに備えて、もう一足、非常用持ち出し袋に履き物を準備しておくと安心ではないでしょうか。
 1足しか選べないのであれば、運動靴一択かなとは思っていますが、履き物で悩むよりも早めの避難。
 そっちの方が大切なのではないかと思っています。