震災報道で思うこと

 今日は3月11日で、2011年に東日本大震災が起きた日です。
 地震と津波、そして原子力災害と、ここで得られたさまざまな教訓は後世に語り継ぐ義務があると思っています。
 ただ、人の記憶は風化していきます。数十年も経つと記憶の彼方に消えてしまう内容はとても多いので、記憶ではなくて記録を残していかなくてはなりません。
 当事者にとっては思い出したくない内容もたくさんあるのですが、それでも体験したことや経験したことを語らなければ、その事実を知るものは誰もいなくなってしまい、後世ではまた同じ事が繰り返される、この繰り返しになってしまいます。
 記憶に残すためには、災害の事実や教訓が人の目につくようにしておかなければいけないのですが、時間の経過とともに被災地で何が起きたのかという情報は、災害発生当日やその前後の日に集約してしまい、普段はまったくノータッチとなってしまうのは、記憶の風化とも言えるのかなと思います。
 これではいけないのではないかとも思うのですが、さりとて毎月災害報道をされたのでは、聞く方も辟易してしまうのではないでしょうか。
 恐らくこれで大丈夫といった正解はない世界なのだと思いますが、その日だけ、報道がその災害一色になるのは、かえってやるせない気もします。
 報道では、読んでもらえる、見てもらえる、聞いてもらえるという数字が第一ですので、こういったことになるのは仕方の無いことだとは思うのですが、毎年この時期の報道を見ると、なんとなく複雑な気持ちになってしまいます。
 亡くなられた方の冥福と、現地に住む人の生活が安定することを切に願っています。