災害遺構を訪ねて4・蕪坂峠の千人塚

 石西地域は比較的水の被害が多いようで、記録を調べていくと「大水害」という言葉がよく出てきます。
 今回は津和野町の蕪坂峠にある千人塚をご紹介します。

橋を渡って手前が千人塚の供養塔。その横の建物が地蔵堂で、奥の幟が見えるところに追福碑がある。

 津和野町役場の作成している観光スポットには「蕪坂千人塚・殉教者追福碑」として掲載されていますが、場所が隣接しているためにこのような表示となっているようです。
 蕪坂千人塚は津和野町史によると天保十三年、千人塚の下にある永明寺の北洲和尚が天保七年の大水害及び飢饉により亡くなった方を弔うために行った追福供養を記念して建てられたものだそうです。

供養塔。かなり苔むしてはいるが、裏面の文字もそれなりに読み取れる。

 この水害と飢饉はよほどひどかったと見えて、その後もたびたび供養がなされていたという記録が残っています。
 これから後、この地方は立て続けに大雪や地震などに襲われることになるのですが、そちらの方はしっかりとした記録が残っておらず状況がはっきりしません。
 ともあれ、石西地方で災害遺構としては珍しい明治期以前の遺構。
 機会があったら一度訪れてみてください。
 なお、現地はかなり急な上に道路は狭く落ち葉が一面に積もって滑りますので、行かれるときには足下に気をつけてお出かけください。