記憶と記録

地元ではかなりの被害が出た昭和18年水害だが、戦時中ということもあって公的な記録は少ない。

 どんなに大きな災害であっても、時間が経過するに従って風化していきます。
 実際に体験した方が亡くなったり、日々の出来事に追われて記憶の彼方になったりしていくと、その災害は歴史の一ページになっていきます。
 これは記録が残っていても同じ事で、全体としての災害はイメージできても、個人としての体験はうまく伝わらないことが多いです。
 そのために語り部が存在するのですが、人の口から語られるものを生で聞くのと、さまざまな記録を見るのとでは、うまく言えませんが迫力が異なります。
 人の口から語られるものの方が、同じ事を伝えるのであっても生々しい感じがするのです。
 さまざまな災害で経験談を話してくれる人達は、そのままだとやがていなくなります。それと同時に、そこから得たはずのさまざまな教訓も文字でしか無い、現実味をどこかともなわないものになっていくのではないでしょうか。
 記録に残すことは、客観的に全体を見る、または状況を把握するために非常に大切なことです。
 でも、それと同じくらい人の口から語られる経験を残すことも、それが現実だったということをこころに認識させるためには必要なのではないかと思っています。
 そして、もしも被災した体験があるなら、それを家族や若い世代に語ってください。
 そうすることによって、そこで生きている、または生きていた人達の体験がしっかりと伝わるのでは無いかと思っています。