【終了しました】みんぱくゼミナール「大規模災害の経験を伝える」が開催されます

国立民族学博物館のみんぱくゼミナールで1月15日に「大規模災害の経験を伝える~遺構・記念碑・語り部・博物館の役割」が開催されます。
当研究所でも「災害遺構を探して」を掲載していますが、災害遺構は災害やそれにかかわる教訓を伝えるものです。
今回はその役割や課題について具体的な講演がされるそうです。
このゼミはオンラインでも参加することが可能で、締め切りは1月12日17時までとなっています。
詳細につきましては、リンク先をご確認下さい。

みんぱくゼミナール「大規模災害の経験を伝える~遺構・記念碑・語り部・博物館の役割~」(国立民族学博物館のウェブサイトへ移動します)

災害遺構を訪ねて15「中山八幡宮の復旧記念碑」

 昭和58年7月の大雨による水害は、島根県西部のあちこちに大規模な被害を与えました。
 災害からの復旧には大変な金額と労力がかかったわけですが、他の災害に比べるとあちこちに立派な復旧記念碑が存在しているのはこの災害の特徴のような気がします。
 今回ご紹介するのは、そんな記念碑の一つである益田市赤雁町の中山八幡宮境内に置かれた復旧記念碑です。


 広い境内は地域を見下ろすような高台にあって、この神社が昔から水害時の避難所として使われていたのだろうなと推察できるような場所です。
 傍らにはこの八幡宮の由来が掲示されていて、復旧記念碑はその横に置かれており、碑の裏には「建碑の主旨」としてこんなことが書かれています。
「昭和58年7月23日豪雨による古今未曾有の大水害も益田市及び国県の温かい援助により河川耕地共に全面的復旧工事が施工され再び災禍なきを祈念 ここに謝恩をこめて記念碑を建立する」

 それから工事概要や施工業者、市長やこの地域の災害復旧に尽力したと思われる方の名前が刻まれています。
 特に教訓や鎮魂、何が起きたのかを後世に伝える目的で建立されているわけではないようですが、地域が復旧するたびにこのような記念碑を作ることができた当時の勢いはすごいなと思います。

災害遺構を訪ねて13 石碑「昭和18年大水害死者菩提碑」

 益田市七尾町にある妙義寺は由緒あるお寺です。
 こちらのお寺の道路を挟んで反対側の敷地の一角に、「昭和18年大水害死者菩提碑」がひっそりとお祭りされています。


 菩提碑、といういい方はあまり馴染みがないのですが、菩提という言葉を調べてみると「死後の冥福」という意味があるそうなので、「昭和18年水害の死後の冥福を祈る碑」といった意味になると思われます。
 昭和18年水害は、戦時中と言うこともあってかあまり情報が見当たらないのですが、こういった碑があることを考えると、益田市一帯でそれなりの死者が出たのかなと考えられます。
 碑そのものには細かいことは書かれていなかったのでよくわかりませんでしたが、敷地はきれいに管理されていました。
敷地の形から考えると、元々は妙義寺の境内地なのかもしれません。
敷地内には益田兼堯像や行者が寄進したと思われるお地蔵様、喜捨により作られたと思われる天保年間の刻みのある石橋などがあり、ちょっとした公園のようにも感じました。
柵などはないので出入りは自由にできますが、住宅地の中ですので行かれる際にはお静かにお願いします。