遊具や包丁、カッターナイフなど、ちょっとでも事故が起きようものなら寄ってたかってそのときの管理者の管理責任を問う強い声が出ます。
管理する側は危険を教えるよりも危険そのものを撤去したほうが早いし楽なので、撤去や使わないという選択をし、最終的には危険なことを知らない人が誕生します。
これは非常に危険なことで、小さな事故で痛い経験や怖い経験をしていれば防げるはずの大事故が頻発することになるのです。
どんなことでもそうだと思いますが、特に危険は体験や経験がものを言います。
危ない経験からは、逆にどこまでなら安全かを割り出す基準になりますし、怖い思いをしたら、その怖いことを回避しようとするでしょう。
本来の危険予測や危険回避はこうやって経験や体験によって磨かれていくもので、その経験できる元をすべてなくしてしまったら、そもそも危ないことや怖いことが理解できないのです。
当研究所のイベントでは、どんなにスタッフが注意していても、毎回やけどや手や足を怪我したり、ハチなど虫に刺されたりといったトラブルが発生します。ただ、経験した子供たちは同じことは二度としません。痛い、怖い経験からきちんと学習しているのです。
誰もそうですが、やったことがないことはできません。失敗するのが当たり前。
でも、今はその失敗をすると怒られます。結果、失敗をしたくない、失敗ができない子供たちが誕生しているのです。
やったことがないことはできないのですから、やってみてできてもできなくてもやったことを認めることが、本当は大切なのではないでしょうか。
危険を遠ざけるのではなく、危険を予測し、理解し、自ら近づかないようにすること。本当に必要なのはこれではないのかと、筆者は思っています。