災害遺構を訪ねて12・石碑「未曾有の豪雨哀と潤を産む」

 益田市、津和野町、吉賀町から構成されている石西地方の災害遺構を探していると、大きく分けて「水害」と「飢饉」の碑がよく建てられています。
 この碑も水害の碑で、益田市美都町と浜田市三隅町の市境の民家の庭に、道路に向かって建っているものです。
 昭和の水害ということで、昭和18年9月20日、昭和47年7月13日、昭和58年7月23日、昭和63年7月20日の4つの水害のあった日が刻まれています。
 実は、碑には平成元年10月建とあるのですが、この碑の来歴がよくわかりません。

 裏側を見ても、ただコンクリートが浸食されているのがわかるような部分しか無く、由来を書いたようなものはありませんでした。
 調べた限りでは、この碑がここにあることが書かれたものはあったのですが、これが建立された理由や経緯に触れたものはありませんでした。


 あまりに奥地に唐突にある碑なので見たらびっくりするかもしれません。
 碑を構成している外側のコンクリートの浸食が進んでいるのがちょっと気になりますが、この碑は風雨に耐えて現在も過去の水害の起きた日を伝えています。