災害関係の碑あれこれ

 災害が起きると、何らかの理由で碑が建てられることがあります。
 大きく分けると、教訓を示すための碑と、何らかの災害対策を行った者を顕彰するための碑、そして鎮魂のための碑です。
 石西地方では、私が知る限りは顕彰碑か鎮魂の碑なのですが、これはこの地方で起きるのは水害や大雨による災害が殆どであるため、教訓の碑を建てるよりも、実際に被害に遭わないために水に浸からない場所に居所を建て、水に浸かる部分は田として遊水池の機能を持たせて被害を最小限に食い止めるための行動をしているためではないかと考えています。碑は丈夫な石で作られているとはいえ、そのままでは時間の経過とともに記憶が風化して人々から消えていくものですから、教訓よりも行動で示しているのではないかなと思います。。もっとも、当地方でもいろいろと調べてみても由来がはっきりしない碑が多いので、、その中には過去の災害の教訓についての伝承のあるものがあるのかもしれません。
 教訓の碑としてよく知られている東北太平洋岸に点在する過去の津波被害の碑も、記憶の承継がされていた一部の地域を除くと、このたびの東日本大震災で「そんなものがあった」と注目を浴びるといった状態なので、意識しない限りは忘れ去れていくことは仕方がないのかなと思います。
 教訓を未来に向けて残していくためには、それをいかに日常生活の中に溶け込ませていくかが鍵になると思います。例えばインドネシアのある島では「歌」で津波の教訓を伝えていて、その歌が歌い継がれていた結果スマトラ大津波でも死者が少なかったという風に。
 そういえば、教訓の書かれた碑の中に、今でもそのように考えなければいけないのだろうなと思ったものがありました。

東桜島小学校にある桜島爆発記念碑。「科学不信の碑」とも呼ばれているらしい。
出展:桜島・錦江湾ジオパーク推進協議会ホームページ

 それは鹿児島県にある桜島で起きた、大正3年の大爆発のあと建てられた桜島爆発記念碑の一つなのですが、その中に「(前略)住民ハ理論ニ信頼セズ、異変ヲ認知スル時ハ、未然ニ避難ノ用意、尤モ肝要トシ、平素勤倹産ヲ治メ、何時変災ニ値モ路頭ニ迷ワザル覚悟ナカルベカラズ。(後略)(※1)」という一文があります。
 大正3年の桜島の大噴火では事前にたくさんの地震や井戸からの熱湯ふきだしなど、さまざまな異変が起きましたが、地元の測候所が「桜島は異常なし。噴火はしない」と言い続けていたため、それを信じた住民達が大噴火の犠牲になってしまったことから「科学的な判断を鵜呑みにせず、自分の勘や判断で以上だと思ったら、事前に準備して災害後に路頭に迷うようなことのないようにせよ」という教訓を残しています。その記載から「科学不審の碑」とも呼ばれているそうですが、誰かの言うことに振り回されるのではなく、起きている事象から自分で判断して行動するというのは、災害対策として現在でも非常に大切な教訓なのではないかと思っています。
 災害の碑は、国土地理院の地図でも「自然災害顕彰碑」として地図上に表示されるようになりました
 もしもお近くに何かの碑があるなら、その碑がなんのために作られたのかについて調べてみるのも面白いのではないでしょうか。もしそれが災害の碑であったとしたら、その碑が何を伝えるために建てられたのかについて確認してみると、昔の人の思いが伝わってくるかもしれませんね。

※1 碑文の出展元は「桜島爆発の日 大正3年の記憶(野添武著/南日本新聞開発センター)」から抜粋しました。