面の支援、点の受援

白飯を炊くのにも技術が必要。いきなりやってうまくいくのは結構難しい

 災害発生後、日常生活を取り戻すまで、被災者はさまざまな形で支援を受けることになります。
 ただ、支援メニューが画一的過ぎて受援者の希望と合っていないことがたくさん発生しており、さまざまな形で復旧の遅れを招く現状になっています。
 支援をする側から見ると、なるべく多くの人に必要とされる支援を行いたいと思いますが、大規模災害だととても手が回りませんのでどうしても画一的な支援を行うことになってしまいます。
 他方、受援者から見ると自分に本当に必要な支援メニューがなくて、何を頼むにしてもちょっと中途半端で困っているという現状があります。
 例えば、食事で考えてみると支援する側はなるべく安い金額で多くの人に食事を提供したいと考えますが、受援者から見るとアレルギーや身体の問題のために特別の配慮が必要だったり、揚げ物などの油が強いものは食べられなかったり、白飯が固すぎたり柔らかすぎたりしてうまく食べることができないという状態になります。
 受援者の視点で支援を行おうとすると、個別に必要とされる事項があまりに多岐に渡っていて、とてもその全てをカバーするような食事を提供することができないということになります。
 そこから考えると、自分がなんらかの事情で食べられないものがあったり、好みがうるさかったりする場合には、自分で自分の安心・安全・満足のいくような準備をしておかなければうまくいかないということになります。
 災害後に状況が落ち着くまではさまざまな形で混乱が生じてきます。そして、支援と受援にはかなりのずれが発生するということを頭の中に置いておく必要があります。
 「自助が第一」と最近では盛んにいわれていますが、自分が納得のいく状況にするためには、自分で自分の必要なものを準備しておく必要があります。
 自治体や支援団体が提供するのはあくまでも平均的な被災者に必要とされる支援メニューであり、誰か特定の人をイメージして作っているわけではありません。
 さまざまな形で余計な苦労をしなくてもいいように、自分の必要なものについてはあらかじめ複数用意しておきたいものですね。

自助・共助のすすめ

 広域災害が発生すると、自衛隊や消防、警察と言った公助による救助はほぼあてにならないと思ってください。
 広域災害では救助を求める人の連絡で、公的機関の電話はパンク状態になりまずつながりません。つながっても、現場に出ることのできる戦力には限りがあることと、その機関にしかできない業務を持っているため、副次的な業務である個人の救助活動まで手が回らないというのが現実です。
 例えば、阪神淡路大震災のとき、倒壊した家屋から救出された人の実に95%が家族や友人・知人といった面識のある人に助けられており、警察や消防、自衛隊といった公的機関の救助隊による救助はわずか1.7%だったそうです。(出典元:平成28年度防災白書
 つまり、自分たちで救助しなければ助からない命が出てくるということです。
 自助でできる一番大切なことは、家屋を倒壊させないことです。例えば住家や建物の耐震補強や耐震強化を行えば建物の全壊を防ぐことは可能です。一部が崩れているのを片付けるのと、全部が崩れているのを片付けるのと、どちらの作業が早いかは想像がつくと思います。
 倒壊しないための処理が難しいのであれば、シェルターなどを使って倒壊建物に潰されないように備えておくということも重要です。
 全ての準備が諸事情でできないとしたら、少なくとも自分が生きていることを知らせるホイッスルくらいは身につけておいてください。。脱出時に怪我をしないように、着替えや靴を枕元に用意しておくことも重要だと考えます。
 後は「共助」として、ご近所と顔つなぎをしておくことです。ご近所づきあいは面倒くさいという話も聞きますが、こと災害に関してはつきあって顔見知りになっておくことが自分に取って不利になることはありません。高齢化や都市流出が続いていて、田舎では空き家が馬鹿みたいに増えています。倒壊した家屋全てに人がいるわけではありませんから、いることを知っておいてもらわなければ、そもそも救助にすら来てもらえないのです。ですので、そこに住んでいることを知っている人をたくさん作っておくことが大切なのです。別に濃厚なつきあいをしなくてもいいと思います。顔を見たらあいさつしておくだけでも、そこに人がいるという証拠になりますから、倒壊したときに気にかけてもらえる可能性が高くなるわけです。また、あいさつすることで周囲の人の顔がある程度はわかるようになりますから、状況によっては自分が助ける側に回ることもできるでしょう。
 人口減少や公務員削減などで、災害時に動員できる災害対応要員は年々減り続けています。いざというときに役所がなんとかするということは、もはや幻想でしかありません。都会であれ田舎であれ、それぞれの理由で公助は当てになりません。隣近所の人と顔見知りになっておき、いざというときにお互いに救助をすることができるようにしておくようにしたいものですね。