災害に慣れること、慣れないこと

机の下でダンゴムシ
防御姿勢はTPOに合わせて取ろう。

 宮城県や岩手県の方では大きな地震が起きて津波注意報も出たようですが、大きな被害が出ないことを願っています。
 さて、地震にしても大雨にしても津波にしても、とてつもなく大きな被害を出すようなものはそこまで多くはありません。
 ですが、普通の生活をしているとそれなりの揺れやそれなりの大雨、また津波の予測が出るのに出くわすこともよくあります。
 災害に慣れるという点では、これらが起きると防御姿勢や避難誘導、避難準備の早さなど良いことがたくさん起きるのですが、それなりの災害というのは、結果的に人の生活に影響のある災害が起きないことが殆どです。
 不思議なもので、そうなってくると何か災害の予兆があっても「どうせ何も起きっこない」と考えて身の安全を守る行動を取らなくなってくるのです。
 災害の予兆が当たり前になって、普段の生活に影響が出ないと信じ込むようになった頃、大きな災害というのはやってくるような気がします。
 99回避難して何も起きなかったからといって、100回目もそうだ誰が決められるのでしょうか。
 100回目でも1000回でも、愚直に命を守るための行動をすること。
 災害に慣れるなら、「何も起きない」と考えるのではなく、命を守る行動を取ることに慣れたいですね。

正常性バイアスの功罪

 車の運転免許を持っている方は、免許を取得する過程や更新講習などで「『だろう』ではなく『かもしれない』運転をしてください」と言われていると思います。
 「大丈夫だろう」ではなく、「何かあるかもしれない」と考えて安全に運転するという意味なのですが、災害対策でも同じことが言えます。
 同じことが繰り返されると、人間の行動は「それまでと同じ」という前提で考えてしまいがちです。これは正常性バイアスの一つで、考えることを減らすために無意識にパターン化している自分の中の事実に当てはめて考えてしまうことなのですが、災害時にはこの正常性バイアスを打ち破ることができるかどうかが生き残ることのできる鍵となっていることに留意してください。

 何か起きたとき、人は自分のそれまでの生活や行動を変えようとせず、その状況の中から普段と同じものを見つけ出そうとします。また、行動を変えないで済む理由をいくつも作り出そうとします。
 それが正常性バイアスと言われるもので、この正常性バイアスのおかげであまり考えずに普段の生活を送ることができるのですが、これが度を過ぎると非常事態なのに常時のルールで判断しようとして危機的な状況を生み出してしまいます。
 常時と非常時を切り分けることは、実は非常に困難な作業です。どこまでが常時でどこからが非常時なのかは、その人ごとに違うからです。
 ですが、非常時にどうするかを決めておかないと、正常性バイアスによって非常時が常時の延長にされてしまう可能性は非常に高くなります。
 切り替えるためのスイッチと切り替え後の行動をどうするのかを決めておくことで、正常性バイアスから逃れて身を守ることが可能になりますので、自分の中の常時と非常時の線引きについてきちんとしておくことをお勧めします。