伝承を伝える

 本日3月11日は今から12年前に東日本大震災が起きた日です。
 地震とそれに伴う津波によって多くの方の生活が一変しましたが、10年も経過すると、当事者の方以外には過去のことになってしまい、災害の起きたこの時期だけさまざまな形で特集が組まれ、報道がされています。
 年に一度でも思い出せるような形が続けられるのであればいいのですが、少なくとも、そこで何が起きたのか、そしてどうなったのかについてはしっかりと伝承をしておく必要があります。
 過去、何度にも渡って地震と津波を繰り返している地域ですが、時間がたつと過去の災害のことは忘れられていました。
 今回大きな災害が起きて、初めて過去に何が起きていたのかを見直すことができたわけですが、このままいくと次回起こる時にはまた同じことが繰り返されるのかなと考えてしまいます。
 伝承は非常に難しいものです。
 実際に体験した人も、時間の経過とともに記憶がだんだんと薄れていきます。これは人間の記憶の中に「忘却」という能力がある以上、どうにもなりません。
 そして、時間が過ぎれば実際に体験した人はいなくなります。そして、伝承を形に残そうとしても形あるものは風化していきますし、維持するのに必要な予算が確保されないということも、恐らく出てきます。
 そしてそうなった後に、大概の場合また同じ災害が起きてという繰り返しが起きる。少なくとも今まではそうでした。
 近年起きたさまざまな災害の記録や記憶をどう伝承していくのか。
 人間の「忘れる」という能力への挑戦になるわけですが、しっかりと伝承できるような仕組みを作っていくにはどうしたらいいのか。
 恐らく正解はないと思いますが、試行錯誤しながら思いを伝えていければいいなと思っています。

記憶と記録

地元ではかなりの被害が出た昭和18年水害だが、戦時中ということもあって公的な記録は少ない。

 どんなに大きな災害であっても、時間が経過するに従って風化していきます。
 実際に体験した方が亡くなったり、日々の出来事に追われて記憶の彼方になったりしていくと、その災害は歴史の一ページになっていきます。
 これは記録が残っていても同じ事で、全体としての災害はイメージできても、個人としての体験はうまく伝わらないことが多いです。
 そのために語り部が存在するのですが、人の口から語られるものを生で聞くのと、さまざまな記録を見るのとでは、うまく言えませんが迫力が異なります。
 人の口から語られるものの方が、同じ事を伝えるのであっても生々しい感じがするのです。
 さまざまな災害で経験談を話してくれる人達は、そのままだとやがていなくなります。それと同時に、そこから得たはずのさまざまな教訓も文字でしか無い、現実味をどこかともなわないものになっていくのではないでしょうか。
 記録に残すことは、客観的に全体を見る、または状況を把握するために非常に大切なことです。
 でも、それと同じくらい人の口から語られる経験を残すことも、それが現実だったということをこころに認識させるためには必要なのではないかと思っています。
 そして、もしも被災した体験があるなら、それを家族や若い世代に語ってください。
 そうすることによって、そこで生きている、または生きていた人達の体験がしっかりと伝わるのでは無いかと思っています。