避難所としての神社やお寺を考える

益田市高津町にある柿本神社から街を望む。かなり高い位置に建てられていることがわかる。地元の人達は過去の水害ではここに避難して難を逃れていたという。

 古来から神社やお寺は災害の際の避難所の役割を担ってきた施設です。
 最近でこそ公民館や学校と言った施設が避難所として割り当てられていますが、地域の人にとって身近な神社やお寺といった施設はみんなが知っていて安心して逃げ込める公共施設だったと言えるからです。
 そこで知っておいた方がいいなと思ったのが、古い神社は水害や津波からの避難所という性格を持っていたと言うことです。
 江戸中期以前の神社に関して言えば、このルールはほぼ間違いないのではないかと思っています。
 どこかへ旅行や出張などで出かける際には、避難所を確認することはもちろんですが、古い神社の位置も確認しておくといざというときに逃げ込む選択肢が増えると思います。
 お寺に関して言えば、このルールはあまり当てはまりません。なぜなら、江戸時代の統治の方法として寺社を利用していましたので、必然的にお寺は街場にできることが多くなりました。
 江戸時代以前から同じ場所にあるようなお寺であれば水害や津波からの避難所としての性格を持ち合わせているかもしれませんが、その確認はなかなか難しいのではないかと思っています。

益田市染羽町の天岩勝神社。水害浸水想定区域に入っているが、写真奥の本殿までは水が来ないと予測されている。

 もしも興味のある方は、古い神社や古いお寺の位置と水害や津波の想定区域、あるいは実際に被災した場所と突合してみてください。 少なくとも古い神社はこの条件にほぼ合致していると思います。
 ただ、都会地では公共事業に伴う移転などで元の位置から動いている神社も多くありますので、そこの部分については意識しておいてください。
 また、神社もお寺も境内地を間借りして避難させてもらうのですから、その場の所有者に対してだけでなく、お祭りされている神仏に対しても礼儀を忘れないようにしたいですね。