地震とライフライン

 3月16日夜の地震の続報がいろいろと出ているようですが、現地の生活が早く復旧されることを願っています。
 さて、今回の地震でもそうなのですが、電気や断水、ガスの供給停止というのは大きな地震が起きるとほぼ100%どれかが発生しますが、その理由を知っていますか。
 揺れによる損壊ももちろんあるのですが、地震が起きた結果、地面が上下左右にズレることによって管が破損や切断状態になってしまうことによってトラブルが発生するのです。

地震の種類と地面の動き

 径の大きな配管であればあるほど影響も大きくなるので、水道本管や下水本管、ガス本管、製油所の送油管などが破断すると、断水や火災などが起きてこまったことになってしまいます。
 日本は地形的にどこにいても地震が発生する可能性がありますので、地震が起きないところへ移転するというわけにはいきません。
 水道や下水、ガス、送油などを止めるわけにもいかないので、実際のところは地震が起きてから復旧するまでの時間をどれくらい短くすることができるかということくらいしか対策ができません。
 個人としては、飲料水の確保や下水道の代わりになるようなトイレの準備、カセットガスとコンロの準備といったところでしょうか。
 最近では災害が頻発しているので、災害が発生したときの給水車の手配や仮設トイレの準備などは過去では予測できないくらい準備が早くなっています。
 とはいえ、大規模災害になると何が起きるかわかりません。
 自分の命を繋ぐ水やトイレくらいは、予め準備しておいた方がよさそうです。

災害報道のワナ

 大規模な災害が起きると、マスコミ各社はこぞって被災地へ押しかけ、ありとあらゆる情報を得ようとします。
 報道の自由という言葉があるとおり、活動自体は自由なのですが、ちょっとだけ考えて欲しいことがあります。
 それは、視聴者は提供される情報を選べないということ。
 マスコミの特性として、よりセンセーショナルな報道をしようとする傾向があります。被害の大きい現場とそうでない現場があったとしたら、被害の大きな現場を報道したがるのです。
 その結果、被害の大きな報道されたところばかりに支援が集まり、他の場所は置き去りにされてしまうという事態が発生します。
 例えば、2018年の西日本豪雨では報道の繰り返された岡山県倉敷市真備町と広島県呉市天応地区には大量のボランティアが集まりましたが、それ以外の被災地域ではボランティア不足という深刻な問題が発生しました。
 報道の仕方だけではないと思いますが、マスコミの人には気をつけてもらいたいなと思う部分です。
 センセーショナルな絵は視聴率という数字を稼ぐ元になります。
 ですが、災害報道に関しては視聴率を追うのを止めて、現地の状況を公平に、冷静に息長く伝えていって欲しいなと思います。

震災報道で思うこと

 今日は3月11日で、2011年に東日本大震災が起きた日です。
 地震と津波、そして原子力災害と、ここで得られたさまざまな教訓は後世に語り継ぐ義務があると思っています。
 ただ、人の記憶は風化していきます。数十年も経つと記憶の彼方に消えてしまう内容はとても多いので、記憶ではなくて記録を残していかなくてはなりません。
 当事者にとっては思い出したくない内容もたくさんあるのですが、それでも体験したことや経験したことを語らなければ、その事実を知るものは誰もいなくなってしまい、後世ではまた同じ事が繰り返される、この繰り返しになってしまいます。
 記憶に残すためには、災害の事実や教訓が人の目につくようにしておかなければいけないのですが、時間の経過とともに被災地で何が起きたのかという情報は、災害発生当日やその前後の日に集約してしまい、普段はまったくノータッチとなってしまうのは、記憶の風化とも言えるのかなと思います。
 これではいけないのではないかとも思うのですが、さりとて毎月災害報道をされたのでは、聞く方も辟易してしまうのではないでしょうか。
 恐らくこれで大丈夫といった正解はない世界なのだと思いますが、その日だけ、報道がその災害一色になるのは、かえってやるせない気もします。
 報道では、読んでもらえる、見てもらえる、聞いてもらえるという数字が第一ですので、こういったことになるのは仕方の無いことだとは思うのですが、毎年この時期の報道を見ると、なんとなく複雑な気持ちになってしまいます。
 亡くなられた方の冥福と、現地に住む人の生活が安定することを切に願っています。

災害とパニック

 火災や緊急事態を題材にした映画やドラマでは、ほぼ100%パニックが起きる描写がされていますが、実際のところはどうなのでしょうか。
 試しに、大きな地震の場面、または大規模な火災に遭遇した人達を撮影した映像を探して見てみて下さい。
 そこに映っているのは、パニックになって我先に逃げ出す人では無く、お互いに顔を見合わせたり状況を確認するために周囲を見回したりする人が殆どだと思います。言い方を変えると、ほぼ100%パニックは起きていないことがわかります。
 個別には、出入り口に人が殺到したりすることはありますが、概ね落ち着いた雰囲気で避難を行っているものが殆どで、どちらかというと、その場で地震の感想やお互いの   安否確認が始まったりして、すぐに安全確保をしないことが問題になりそうです。
 もちろん地震が起きると怖くて泣いてしまう人はいると思います。
 ただ、それも全体から見るとごく少数。多くは冷静に状況を見ているか、もしくは茫然自失、あるいはちょっとした興奮状態になっています。
 施設管理者や避難誘導担当は、パニックになるかもと情報を規制してしまうことが多いみたいですが、実際には正しい情報を伝えても案外と冷静な判断をしてくれるものです。
 逆に正しい情報が与えられない方が混乱を生み出すことになると思います。
 怖いのはパニックでは無くて情報不足による判断の停止ですので、パニックを本当に防ごうと考えているのであれば、積極的に正しい情報を提供することをお勧めします。
 ちなみに、正しい情報というのは「現在は状況がわからない」というのも含みます。
 今、施設管理者や避難誘導担当者が把握している情報はさまざまだと思いますが、憶測では無く現在把握できている範囲の情報をきちんと整理できるような、そういった訓練をしておくといいと思います

避難口の表示の有無

避難口や避難経路を示す誘導灯。
いざというときにあなたが屋外に逃げ出すのを手助けしてくれる大切なものですが、この誘導灯、ある場所とない場所があることをご存じですか。
例えば、大きなホテルには必ずついていますが普通のおうちで見ることはあまりないと思います。
この誘導灯は火災などの非常事態が発生したとき、その場にいる人を安全に屋外へ誘導するための装置です。
誘導灯は避難口誘導灯、通路誘導灯、階段通路誘導灯、そして映画館などでよく見る客席誘導灯があり、それぞれに設置基準が作られています。
今回は避難口誘導灯と通路誘導灯に絞って考えてみたいと思います。

廊下から避難口誘導灯が見えないので通路誘導灯がついている。

1.避難口誘導灯

 避難口誘導灯はその場所から外部に通じる扉や開口部に設置されているもので、避難すべき出口を表していて、基本的には緑地に白色の開口部が描かれています。
 不特定多数の人が利用する場所では100㎡以上、また、特定の人が使う場合でも400㎡を超える部屋の場合には設置する必要があります。
 どこからでも目立つように高い位置についていて、誘導音が出るタイプのものもあります。

2.通路誘導灯

通路誘導灯はいまいる場所から避難口がどこにあるのかを指し示すための誘導灯で不特定多数の人が利用する施設の場合には、この表示が見えないところを作ってはいけないことになっています。
また、停電時にも消えることがないように、照明を維持するためのバッテリーがセットされていて、最低20分は点灯するようになっています。
白地に緑で避難方向を示す矢印と避難口のマークが書かれています。場所によっては文字で「避難口」や「非常口」と書かれているものもあります。
煙に紛れてもしっかり見えるように床や壁の低い位置につけられていることが多いです。

避難口誘導灯と通路誘導灯の関係図

この基準を満たしていない場合には、避難口誘導灯や通路誘導灯をつけなくてもいいということになります。
そこに普段から住んでいれば、どこに出入口があるのかはわかっているでしょうし、出入口が目視できる場所であるなら、わざわざ誘導灯がなくてもたどり着けるだろうということです。
普段あまり意識していないと思いますが、知っておくと何かの役に立つかもしれませんので、出かけた場所で確認してみてください。

地震、雷、火事、親爺

「地震、雷、火事、親爺」という言葉があります。
起こると怖いものの代表だそうですが、最後の親爺については、親爺では無く「大山嵐(おおやまじ)」だったのではないかとする説があるそうです。
親爺でも大山嵐でもどっちでも構わないとは思うのですが、筆者自身は「起こると怖いもの」の「起こる」が「怒る」に引っかけたしゃれなのでは無いかと思っています。
幕末の浮世絵では大山嵐ではなく親父が描かれていますので、その頃にはすでに親父だったようですが、語呂が良くて覚えやすいので、よく口にされたのではないかと思っています。
最近では親父の権威がほとんど無くなってしまったので、「怖いもの」には含まれなくなっているようですが、代わりに何を入れるのかでいろいろと面白い言葉を使うこともあるようです。
「地震、雷、火事」の後に続く怖いもの。あなたならはどんな言葉を入れますか。

地震、雷、火事、親爺」の語源が知りたい」(レファレンス共同データベースへ移動します)

浮世絵「地震、雷、火事、親爺」(消防防災博物館「其の四:地震、雷、火事、親父の話」へ移動します)

雪対策を考える

 各地で雪が降ったようですが、あなたのお住まいの地域ではどうだったでしょうか。
 今回は過去にこのブログでご案内した雪対策の記事をまとめてみましたので、気になったものがあれば見てみてください。

絆創膏で滑り止め

雪道の歩き方

除雪スコップあれこれ

南岸低気圧

誰が迎えに行くのか?

 家族一緒に一日中毎日生活している人は、恐らくいないと思います。
 子どもが学校に出かけたり、親は仕事に出かけたり、家にいるお年寄りもディーサービスに出かけていたりして、案外と家に誰もいないということも多いのではないかと思います。
 さて、そんな状況下でもし災害が起きたとしたら、子どもと年寄りをどうやって家に帰らせますか。
 学校や施設が責任持って家まで送ってくれるのであれば問題なのですが、そんなケースはほとんどないと思います。
 多くの場合、何か起きたなら学校や施設まで利用者を迎えに来るように決められているのではないでしょうか。
 もしも災害時の引き渡し方法がきちんと決められていない、または知らないようでしたら、すぐに確認されることをお勧めします。
 保育園や幼稚園では、ほぼこの引き渡し方法が確立されていて、園児の親も大体ルールは知っているのですが、学校に入った途端どうなっているのか分からない場合も多いからです。
 また、お年寄りが出かけている施設でも同じ事が言えます。普段は送迎してくれていても、災害時にどうするのかについては取り決めがないこともあるのではないでしょうか。
 そして、ご家族が学校の近場でお仕事をしているのであればいいのですが、家族が全て遠くに働きに出かけている場合もよくあると思います。
 そういった場合には、家族以外で誰に迎えに行ってもらうのかをあらかじめ決めておかなければなりません。
 誰が迎えに行くのかという情報は、迎えに行く側だけで無く引き渡す側にも伝わっていなければ、引き渡しの際に揉める元になります。
 学校や施設、あるいは避難先に誰が迎えに行くのか。
 ご家族で検討して、家族みんなが知っているようにしておいてくださいね。

低体温症に気をつけよう

 登山や屋外での運動をやっている人は割とよくご存じだと思いますが、低体温症には季節は関係ありません。
 夏であっても、身体から熱が奪われてしまって低体温症にかかってしまい危険な状況になることがあります。
 低体温症は本人が気づいたときには一人では手の打ちようが無い状態になっていることが多いので、意識して低体温症にならないように気をつけておく必要があります。
 では、低体温症はどうやって起きるのでしょうか。
 低体温症は、身体が作る熱が何らかの原因で奪われてしまい、熱を作ることができなくなる状態を指します。
 例えば、夏にはやる方がそれなりにいる沢登りですが、水の冷たい上流部で水に浸かり続けていると感覚がなくなり、震えがきます。これは低体温症の予兆で、そのうちに手足の指の動きが鈍くなったり、肌の感覚がマヒしたりしてきます。
 その後は全身の動きが鈍くなったり、転んだり。意識がはっきりしなくなると危険な兆候です。
 最終的には寒いという感覚がなくなって眠くなって絶命してしまうので、そうなる前に手を打ちましょう。
 基本は,身体を乾燥させて保温することです。
 保温といっても、意識が混濁しているような状態のときには、かなり体温が下がっていますので、ストーブや湯たんぽなどでいきなり温めると心臓マヒを起こすことがありますので、ゆっくりと温めていくしか手がありません。
 で、この低体温症、大雪の最中に屋外作業をしたり除雪しているときにも起こります。雪に埋もれると一気に低体温症になりますし、除雪などで汗をかいたあと寒風に吹かれれば同じように一気に低体温症になります。
 とにかく小まめに休憩をとって身体を冷やさないこと。そして雪や汗で身体が濡れたら、すぐに拭き取って乾いた衣服に着替えることを基本に行動をしてください。
 低体温症は条件さえ揃えばどんなところでも起こり得るものです。
 そのことを忘れずに、どうぞご安全にお過ごし下さい。

「災害」の優先順位

 あなたは何か災害への備えや対策を取っていますか。
 こう聞かれると、できる備えを殆どやっている人からまったくやっていない人まで、さまざまな回答があると思います。
 では、今日トイレに行かなかった人と聞かれて、行っていないと答えられる方はどれくらいいるでしょうか。
 恐らくは何かの事情がある方でない限り、100%行っているという回答になると思います。
 災害とトイレが必要な自然現象(以下自然現象と書きます)、どちらも必ず起きるものなのですが、方やバラバラで方や100%。これは何が違うのでしょう。
 これは優先度の問題だと思います。
 自然現象は、これは数時間単位の話です。長くても一日我慢できる人はまずいないと思いますから、自然現象に対応するためにいろんな場所にトイレを作っています。
 でも、災害は数年、数十年、へたすると数百年の単位です。
 どうかすると自分が生きている間には何も起きないかもしれない。そう考えると、備える必要があるのかどうか迷ってしまうと思います。
 そして、基本的に迷ったときには行動しないという選択をする人が殆どです。
 結果として、災害が起きて「こんなはずではなかった」と後悔することになります。
 災害への備えや対策は、一度にいろいろとやろうとするとさまざまなところに弊害が起きますが、ちょっとずつでもやっておくとあなたの安全度は確実に上がります。
 トイレと同じように準備することは難しいかもしれませんが、災害への備えは何か起きたときのあなたの命を守り、繋いでくれる重要なものです。
 「起きるかどうかわからない」からしない、のではなく、「起きるかどうかわからないから」備える。
 そんな風に考えて欲しいなと思います。